エッセーの投稿

在宅看取り


 今年の冬はことのほか寒かった。ようやく寒さが緩んで春の日差しの中、在宅診療を行えるようになった。春の陽気に誘われて週一回の訪問診療が楽しみだ。著者は横須賀市の衣笠で在宅訪問診療を行っている。横須賀は海に近いが、ちょっと市街地を離れると緑深い丘陵地帯に出る。坂道を登り、トンネルを抜けると突然、トロロの森のような集落に出会うこともある。

 この季節、そうした集落の小高い見晴らしのよい庭先から患者さんを訪問すると、100歳近い寝たきりのおばあさんがベッドの中から片手をあげて無言で歓迎してくれる。開け放された縁側から緑の光が差し込んで、おばあさんのやせ細った白い手も草色に染まっている。そんなおばあさんの手を握りながら「また来ましたよ」と声をかける。

 また102歳の生け花の先生のお宅にも訪問している。30段近い階段を上った先の家に息子さんとお花の先生は暮らしている。このおばあさんは、いつもベッドの上で正座して迎えてくれる。難聴でほとんど耳が聴こえないが、いつもやせた手を差し伸べてくれる。ガラス窓から差し込む静かな午後の日差しの中の姿はまるで観音さまのようだ。ありがたく手を握らせていただく。

 先日は初めての在宅看取りもさせていただいた。80歳台の肝硬変のため黄疸も発症し、お亡くなりになったおじいさんだ。ベッド上で真正面を向いて静かに横たわる端正な姿はブロンズ像のようだった。死亡確認のあと丁寧に手を合わせてお祈りした。

 在宅でみるお年寄りはみなさん安らかに老い、亡くなっていく。自然の時の流れに身を任せ、終わりを迎えることができるのが在宅の良いところだろう。在宅での看取りが当たり前の世の中にしたいものだ。

エッセーの更新履歴

最新10件