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ブルックリンの精神科病院


 1980年代後半のブルックリンのファミリープラクテイス(家庭医科)の留学中に一番の印象に残ったのは精神科ローテーションだ。ブルックリンのクラークソン通りに面したキングスボロー精神科センター(写真)に2ヶ月毎日通った。もともと日本では外科医しか経験したことがなくて、精神科なんて大学の学生実習(ポリクリ)以来のことだ。

 でも精神科のローテーションは、最初の日からびっくりの連続だった。まずニューヨークの精神科医の格好の奇抜さに驚いた。ジーンズにピアスという、まるでロック歌手のようないでたちの医者が、精神科のアテンディングドクター(指導医)なのだ。そして、そのニューヨーク訛りの早口英語から出てくるのはなんとエゴとかスーパーエゴとかいうフロイド用語なのだ。80年代のニューヨークで、精神科はまだフロイデイアンの世界なのにびっくりした。思い起こせば、すでに1980年からアメリカの精神医学会.の「診断と統計のマニュアル(DSM)」が出版され、精神科医療の革命が始まっていたはずである。この波はまだブルックリンには届いていなかったのだろうか?

 それから驚いたのは精神科の薬物中毒治療病棟(デトキシユニット)のローテーションだった。当時のニューヨークはヘロイン・コカインの静注麻薬常習者の全盛期で、患者の数も半端ではなかった。このため薬物中毒のデトキシ・ユニットは麻薬患者であふれかえっていた。大半の患者はメサドンという代用麻薬と安定剤で一定の解毒期間を入院してすごす。

 このデトキシ・ユニットで患者のヒストリー(病歴)をとるのはなかなか刺激的だった。ときには麻薬業界のインサイドストーリーが聞けることもあって興味深かった。あるとき中毒症状も軽くてどうして入院しているのだろうと思った患者が、事情を正直に話してくれた。患者は黒人の若い男性で、麻薬のデイーラーをしていた。「実は仲間に追われている。麻薬の代金の一部を盗んだのがばれた。デトキシユニットは安全なのでシェルター代わりに使っている」とのことだった。

 それから患者が薬物依存に陥るパターンも一定していた。アルコールからトランキライザー、そしてヘロイン・コカインの順だ。そして多くの静注麻薬常習者はインスリン注射用のシリンジの回し打ちをするので、HIV感染が常習者の間を蔓延する。このためニューヨーク市は当時、清潔なシリンジを麻薬患者に無料配布するプログラムを行っていたくらいだ。なんと市が「麻薬を打つときには清潔なシリンジで」というキャンペーンを行っていたのだ。これにはおどろいた。

 さて後年、「レナードの朝」という映画をみた。脳炎後のパーキンソン症状の患者がレボドパで突然目覚めるという映画で、ロバート・デ・ニーロが主演だ。その映画を見ていて、「なんだか見たことのある病院だな」と思った。なんとその映画の撮影現場がブルックリンのキングスボロー精神科センターだったのだ。

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