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松尾造酒蔵牧師


 今朝の衣笠病院の朝の礼拝で、阿部誠さんから衣笠病院の戦後間もない創立期の理事長を務めた松尾造酒蔵(まつお みきぞう)牧師の話をお聞きました。

 松尾牧師は1890年の島原の生まれで、1908年東京で洗礼を受け、明治学院神学部に学び、米国のオーバン神学校スコットランドエディンバラニュー・カレッジで学び、1921年に帰国し横浜に住んだ。

 松尾牧師は1922年日本基督教会鎌倉雪ノ下教会(写真)より招聘を受けて、牧師となり、それ以来1969年秋まで、48年間にわたって雪ノ下協会に奉職する。

 その間、終戦に際して横須賀に進駐してきた米国海軍司令長官デッカー大佐の強い勧めで、衣笠に衣笠病院の創立に尽力することになる。当時の衣笠は横須賀市のはずれの何もないところで、衣笠病院は1947年に創建される。しかし不幸なことに1960年に新生児室からの出火により衣笠病院は全焼し、患者、職員の16名が亡くなると言う惨事に見舞われる。この火災の責任をとって多くの理事が辞任するなか、松尾牧師は代表理事として病院再建に力を尽くし無事再建を成し遂げる。

 また松尾牧師はスコットランド留学中に、教会、学校、病院が街づくりの中心となっていることを見て、学校教育にも貢献した。このため共立女子神学校校長,フェリス女子学院理事長、横須賀学院理事長などを歴任する。

 そして1985年に95歳でがんのため衣笠病院で、当時の職員やチャプレンに見守られながら亡くなられた。