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出産の保険適応


図表1 厚労省 妊娠・出産・産後における妊産婦等の支援策等に関する検討会 2025年3月19日 

 2023年12月22日に閣議決定された「こども未来戦略」において、2026年度を目途とした出産費用の保険適用が打ち出された。 きっかけは同年3月の菅義偉前首相による「出産の保険適応による実質的な無償化」の提言だった。

 これを受けて、厚生労働省とこども家庭庁の共管で「妊娠・出産・産後における妊産婦等の支援策等に関する検討会」が新たに設けられ、具体化に向けた議論が進められることとなった。そして2025年より社会保障審議会医療保険部会と中医協でも出産の保険適応に関する具体的な検討が始まっている。今回はスタートした出産の保険適応について見ていこう。

1 出産の保険適応の経緯

(1)出産育児一時金

 保険給付にはサービスそのものを給付する現物給付と、現金で渡す現金給付の2種類がある。現在、正常分娩は「病気やけがでない」などの理由から公的保険による現物給付が適用されず、健康保険からの出産育児一時金による現金給付がされている。出産の保険適応と言うのは正確には現状の現金給付から現物給付化のことだ。

 この出産育児一時金も2023年4月からそれまでの42万円から50万円へと引き上げられた。ただ室料差額を除く出産費用の平均額を公的病院で比べると、東京の62.5万円が最も高く、最も低いのが熊本の38.9万円、全国平均は50.7万円と地域格差が大きい。なお東京都区内の名門産科病院では、その費用は優に100万円を超えているところもある。正常分娩は公的保険が適応されていないので、公定価格がなくそれぞれの医療機関が価格を自由に設定できるからだ。

 しかしフランスでは後述するように妊婦健診と分娩関連費は全額、国民医療保険である「出産保険」の対象となっている。しかも100%償還で自己負担ゼロだ。妊娠6ヶ月からは、妊娠に関係ない疾病の医療費も全額、医療保険でカバーされ、これもやはり自己負担はない。フランスでは出産施設の7割は保険適用の公立病院だ。さらに出産の際の無痛分娩(硬膜外麻酔)が、1990年代から妊婦の全員の「産科医療の権利」となり、こちらも自己負担はゼロだ。このためフランスでは出産の8割以上が無痛分娩だ。

(2)出産に保険が適応されないワケ

 なぜ日本では、フランスのように正常分娩に保険適応がされてないのだろう。第一の理由は、健康保険の給付方法には前述のように医療サービスそのものを給付する現物給付と現金を給付する現金給付の二つがある。正常分娩については「出産は傷病ではない」すなわち病気やケガでないことから現物給付ではなく、現金給付(出産育児一時金)の適応となっていることが挙げられる。

 もう一つの理由は、公的保険で現物給付するには、全国の分娩に係るサービスが標準化されていて、どこでもだれもがアクセスすることができることが要件だ。つまり公的保険でカバーするには標準的な設備や専門人材が全国一律に配備されていなければならない。つまり公的保険が拡大しても、標準化されたサービスとその提供体制が全国になければ公的保険を使うことができない。つまり「保険はあっても提供するサービスがない。またはあってもサービスがばらばら、提供体制がない」では、保険給付することができない。

 実際、健康保険法が成立した戦前には、出産については、こうした事情から現金給付であった。しかしその後、一時的に現物給付が行われた時期もあったという。ところが戦時下の出産奨励の手段として助産師による産院での分娩が全国で推奨され、再び現金給付に戻り、戦後もそれが継続された。なぜ戦後にまで現金給付が継続したのだろうか?それには以下の2つの理由がある。一つは戦後の連合軍最高司令本部(GHQ)の分娩の病院化への誘導により1960年までに日本において都市部では出産が病院で行われるようになった。しかし、地方ではあいかわらず産院や自宅分娩が主流だった。このため現物給付化する際に必要な出産経費の全国標準化が困難であったことがあげられる。

(3)日本母性保護医協会、産婦人科医会の反対

 もう一つの理由は産婦人科開業医の団体である日本母性保護医協会(日母)の反対活動があげられる。日母は正常分娩が診療報酬点数化された場合に、「助産師レベル」の安い点数に統一されることを嫌って公的保険化に反対を行った。1980年以降、出産の病院における医学管理化が全国的に普及したにもかかわらず、日母は「正常分娩は自然現象」であるという主張を繰り返し、診療報酬化に強く反対した。このため日本では正常分娩の現物給付化は行われず、現金給付である出産育児一時金の増額で対応してきた。

 この歴史は1990年以降、出産給付の問題が少子化対策として政策課題として登場してからも産婦人科医のスタンスは変わることはなかった。実際に2023年4月時点でも日本産婦人科医会の石渡勇会長は、記者会見で「正常分娩の費用には地域差がある上に、女性が安全に出産できる体制や設備の整備・維持にもコストがかかる。このため全国一律の診療報酬だけで正常分娩を評価することはむつかしい」と述べている。

 たしかに出産が保険化されれば全国統一料金となって、その収入が頭打ちになる。とくに昨今の公的保険頼みの病院経営の赤字の惨状をみれば、出産までが保険適応になれば、出産を扱う病院や診療所の経営が危うくなる。こうしたこともあり現在でも日本産婦人科医会は出産の保険診療化に懸念を示している。

2 フランスでは出産は保険適応

 フランスの場合を見ていこう。フランスでは前述のように、出産はすべて出産保険という保険適応で100%償還の自己負担ゼロという制度だ。フランスの場合は妊婦健診もすべて出産保険の適応だ。日本の場合は10~14回の健診に10万円以上もかかる。またフランスでは出産についても出産保険からの現物給付で100%償還される。日本の場合の現金給付の出産育児一時金は50万円の上限があるので、はみ出た部分は自己負担として払わなければならない。東京の名門産科病院では出産費用100万円以上では50万円以上が自己負担になる。またフランスの場合産後健診、乳幼児健診も保険適応だ。またフランスでは出産と関係のない医療費も妊婦特例として医療保険の自己負担免除の場合もある。一方、日本ではこれらの産後健診、乳児健診は地方自治体から補助で無料ではある。ただ一部の任意で受けるものについては自己負担も生じている。図表1にフランスの出産に係る医療保障制度を示した。

厚労省 妊娠・出産・産後における妊産婦等の支援策等に関する検討会 2025年3月19日

3 日本の出産の特徴

 さて日本の出産の特徴を国際比較から見ていこう。日本の出産は先進各国の中で、「長くて、痛くて、高い」と言う三拍子そろった特徴がある。日本の出産での入院日数は5.3日で先進国のなかで最も長い。最も短いカナダでは1.5日だ。また日本の無痛分娩率(硬膜外麻酔併用率)は8.6%、フランスでは82.2%だ。日本では無痛分娩の普及率が低い。日本の女性は痛みに強いのか?なお日本では帝王切開率は21.6%で低いほうだ(図表2)。そして出産費用はフランスは前述のように自己負担ゼロである。日本では保険適応になっていないので、出産一時金以外や健診費用は自己負担分が必要だ。

図表2

厚労省 妊娠・出産・産後における妊産婦等の支援策等に関する検討会 2025年3月19日

ただ、日本の出産の誇るべきところはその安全性だ。妊婦死亡率、周産期死亡率の低さは世界だ(図表3)

図表3

厚労省 妊娠・出産・産後における妊産婦等の支援策等に関する検討会 2025年3月19日

4 正常分娩の保険適応

 さて、ここからは正常分娩の現物給付による保険給付を巡っての議論を見ていこう。ポイントはこれまでの出産一時金である現金給付を現物給付に置き換え、全国一律の給付水準とすることだ。これにはまず全国の出産の実態を明らかにすることが必要だ。

 まず2024年の全国の都道府県別の平均出産費用を見ていこう。前述したように出産費用の1位は東京64.8万円、最低は熊本40.4万円、平均は51.9万円だ(図表4)。都道府県格差が大きい。

図表4

厚労省 社会保障審議会医療保険部会 2025年12月4日

 また施設別の出産費用を見ると、最大値は東京の120万円超、最低値は北海道の20万円以下だった。そして出産費用は年々上がっている。2012年に40万円台が2024年には50万円台に10万円近くも挙がっている。このため出産育児一時金も2023年4月から42万円から50万円に値上げされた。しかし出産育児一時金だけでは足りない。6割が出産一時金を超過して自己負担している(図表5)。この中には出産にともなう様々なサービス、祝い膳、赤ちゃんの足型、写真撮影、妊婦のエステなども含まれている。

図表5

厚労省 社会保障審議会医療保険部会 2025年12月4日

このため2024年の全国の分娩に係る療養の給付総額は1431億円に達している。

5 出産の場の提供体制

 ここからは出産の場について見ていこう。少子化の影響を受けて出産件数が毎年減っている。2024年時点で出産件数は全国68.6万件である。現在、その54.3%が病院で、45.1%が診療所で、0.5%が助産所で、0.2%が自宅での出産だ。

 分娩取り扱い病院、診療所の数も減っている。2023年時点で、分娩取り扱い病院は886軒、診療所は886軒だ(図表6)。1996年以来、30年近くで半分に減っている。

図表6

厚労省 社会保障審議会医療保険部会 2025年10月23日

 この分娩取り扱い医療機関数も都道府県ごとに大きく異なる。東京都は147医療機関で最も多く、高知は9医療機関で最も少ない。一方、出産1000人当たりの医療機器関数では東京都が最も少なく、秋田県が最も多い。

 また分娩を取り扱う医師数は診療所では約半数が2人未満であり、病院でも2未満の施設がある(図表7)。一方、助産師数は2023年時点で診療所6.5人、病院20.2人である。

図表7

厚労省 社会保障審議会医療保険部会 2025年10月23日

6 正常分娩の基本単価の設定

 さて、ここからは2025年12月4日時点での社会保障審議会医療保険部会の議論の様子を見ていこう。ポイントはこれまでの出産一時金である現金給付を現物給付に置き換え、全国一律の給付水準とすることだ。

 そして標準的な出産費用については現物給付を行い、100%償還することで自己負担分の無償化を計ることとする。しかし正常分娩と言って分娩の過程は多様であり標準的なケースを設定することは困難だ。このため分娩の過程の多様性を前提とした基本単価を設定し、分娩件数に応じた給付を産科の医療機関等に行ってはどうかと言う案が検討されている。また安全な分娩のために手厚い人員体制や設備を備えている施設や、ハイリスク妊婦を積極的に受け入れる体制を敷いている施設には加算で対応することで検討が進んでいる。また帝王切開等の従来の保険診療については従来通りとし、祝い膳などのアメニテイ部分についてはその内容を見える化した上で自己負担とすることが検討されている(図表8)。

図表8

厚労省 社会保障審議会医療保険部会 2025年12月14日

 また新しい制度の移行については、医療機関側の準備期間と妊産婦への速やかな支援実施に配慮し、例えば妊婦が希望に応じて施設を選択できるようにしたうえで、可能な施設から新制度に移行してはどうかと言う案も検討されている。

 これに対して社会保障審議会医療保険部会の委員からは以下のような意見が出されている。医療提供側の委員からは、「現実的な評価方法である」として、新しい制度の考え方に賛同している。一方、産科医療を代表する専門委員からは、「十分な基本単価・基本報酬を設定しなければ地域の産科医療体制が崩壊する」、「正常分娩も千差万別であり、標準的なケースを定義できないため包括報酬を設定すると言うのはいささか乱暴ではないか」、また助産所運営側の委員からは「助産所が安定する基本報酬・基本単価が必要」との要望も出ている。

 他方、医療費を負担する側の保険者側の委員もこの新しい制度に賛同した上で、「基本単価の中にどういったサービスが含まれているのかを見える化していくことが必要」としている。確かに基本単価、基本報酬化は入院医療の包括報酬に似ている。DPC/PDPSの包括報酬でもその包括内容の詳細データを蓄積することで、標準的なサービス内容が明らかになり、制度が精緻化されてきた経緯はある。出産における基本単価、基本報酬化もこのような前例に倣ってデータ蓄積とその都度の見直しが必要だろう。

さて出産における現物給付が療養の給付を意味するかは、現時点ではまだ不明だ。現在の健康保険法では、療養の給付は疾病又は負傷を対象としていて、正常分娩はこれに該当しない。このためフランスで行ったように「出産保険」のような新たな保険給付を設ける可能性もある。

さらに今回の出産の現物給付の導入は産科医療機関にとっては大きな変更だ。このためその移行にあたっては、当面、現行の仕組み(自由診療+出産育児一時金)と新たな現物給付の仕組みを併存させてはどうかと言う考えを厚労省の佐藤保健課長は提示している。こうした制度移行期の課題についても詰めていく必要がある。

 お産はその国の国民性や文化に深く根差している。正常分娩の保険診療化は日本のお産の姿を大きく変える可能性がある。慎重で丁寧な検討が必要だ。

参考文献

厚労省 妊娠・出産・産後における妊産婦等の支援策等に関する検討会 2025年3月19日

厚労省 社会保障審議会医療保険部会 2025年12月4日

厚労省 社会保障審議会医療保険部会 2025年10月23日

厚労省 社会保障審議会医療保険部会 2025年12月14日