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医療計画の過去、現在、未来


 日本で医療計画が導入されたのは1986年の医療法改正だ。このときはじめて医療計画により病床規制が導入される。二次医療圏ごとに必要病床の上限規定を設けて、それ以上病床が増えないように規制したのだ。

 当時著者は横浜市にある旧国立横浜病院で外科医として働いていた。神奈川県でも医療計画が始まるというので神奈川県主催の説明会があったので聞きにでかけた。当時の神奈川県の衛生部長が壇上から説明したが、外科の臨床医だった当時の著者には、内容は皆目よく分からなかった。ただ病床をこれ以上増やすことができなくなるらしいということは分かった。そのころは、まさか自分が後年、新宿の国立医療・病院管理研究所に入って、医療計画の研究に携わたり、さらにその後、第6次医療計画の見直し検討会の座長を務めることなどとは思ってもみなかった。

 さて医療計画導入時にはさまざまなエピソードがある。一つは駆け込み増床だ。医療計画が始まると病床規制によって、病床を増やすことができなくなる。このため全国で医療計画が始まる前の駆け込み増床が起きたのだ。これによってなんと20万床も病床が増えたのだ。これが日本の現在の病床過剰の原因の一つとなった。病床規制が皮肉にも病床過剰をもたらしたというワケだ。

 もう一つのエピソードは以前勤務していた国際医療福祉大学の高木邦格理事長から聞いた話だ。高木理事長のお父さんの高木維彦氏は福岡県大川市に高木病院を経営していた。このお父さんが医療計画が出来たとき、医療法の医療計画の規定をなんと神だなに祭って、参拝したという話だ。理由は簡単だ。「これでわが高木病院は未来永劫安泰である」と思ったという。つまり医療計画は既存の病院にとっては、地域に新参の病院の流入を阻止し、既得権益を守ってくれる守護神のようなものだからだ。

 こうした医療計画による病床規制の在り方については、何度か見直しの気運もあった。医療計画が既存の医療機関にとっては既得権益化し、より質の高い医療機関の参入を阻んでいる。このため医療機関の新陳代謝を図るためにもより競争的な市場環境を作るべきではないか?また患者に選ばれない医療機関の経営が成り立たないという環境を整えた上で、病床規制としての医療計画を撤廃しても良いのではないか?こうした観点からの医療計画の見直しの議論はたびたび繰り返されてきた。

 しかしそのたびに医療計画を廃止したら、巨大資本による1000床の病院が続出して、医療の寡占化が始まる。そもそも医療に市場主義はなじまないなどの議論に押し戻されて、依然として医療計画が存続している。

 ところがこれから日本では人口が激減する。病院数も1990年は1万以上もあったのが、現在では8000を割ろうとしている。これからはさらに病院数が減るのは目に見えている。病床規制としての医療計画はもはや役目を終えている。これからは老い縮みいく日本に合わせて作られる新たな設計図が必要だ。それは入院、外来、在宅、介護を包含した新たな地域医療構想の時代だろう。

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