
東京世田谷の三宿(みしゅく)にある陸上自衛隊衛生学校の医学資料館「彰古館(しょうこかん)」(写真)を見学したことがある。彰古館には奇跡的に戦災や接収から逃れた明治維新以来の軍医学校の所蔵品や、戦後になって陸上自衛隊衛生学校が編纂した資料が展示されている。
西南の役の刀傷のスケッチや、国産初の外科手術器具、乃木希典将軍の足のレントゲン写真など珍しい資料が所せましと置かれている。その中に陸軍薬局方が展示されていた。
陸軍薬局方とは日本薬局方が明治19年(1886年)に制定される以前、陸軍と海軍がそれぞれの独自に作成していた薬局方だ。陸軍医寮薬局方(1876年)や海軍軍医寮薬局方(1872年)だ。このころ日本は国としての医療制度を整え始めたころで、軍隊で使用する医薬品に関して独自の基準が必要とされていた。特に戦時下でも使える薬品の品質管理や供給確保のために、陸軍と海軍それぞれで薬局方が編纂されたのだ。この陸軍と海軍の薬局方がその後の日本薬局方に発展する。
医薬品の品質確保と安定供給は、国の安全保障に深く関わっていることは今に始まったことではない。140年以上も前から旧陸海軍の薬局方の編纂を通じて始まったのだ。