
カトラス・シェアラ
運転免許は70歳になったとき返納した。車に乗る必要もなかったので、あっさり返納できた。返納して困ったのは身分証明書がなくなったことだ。顔写真付きの身分証明書は運転免許だけだったことに気が付いた。しかし間もなくマイナンバーが出たので身分証問題は解決した。
さて運転免許を始めて取ったのは、若いときにニューヨークに留学したときだ。このとき家族と一緒に移り住んだニューヨークのお隣のニュージャージで初めて運転免許を取得した。
まず始めに筆記試験を受ける必要がある。試験問題は日本語もあったのでラッキーだった。でも問題には変な問題もあった。「運転中にハンドルが取れた場合の対処法は?」、「走行時にブレーキが効かなくなった場合の対処法は?」などの問題がある。回答は選択式なので、なんとかそれらしい方法を選択して合格した。1980年代後半の米国車には実際にありうることだったのだろう。
筆記試験に受かると、こんどはドライビングスクールに電話して、路上運転の練習を行う。ミニスカートをはいた女性がダブルブレーキの車で自宅まで来てくれた。まず「これがガスペダル(アクセル)、こちらが命を守るブレーキペダル。では家の周りを走ってみましょう」という。次の日にまたやってきて、「今日はハイウエーに出る練習をしましょう」という。「え~もう高速にでるの?」と驚いた。「はい、加速レーンから出る練習です。後ろを向いてあの白い車が通過したら、すぐにガスペダルを踏んでハイウェーに乗ってください」という。冷や汗をかきながら高速の車列になんとか入り込んだ」。
翌日は夕方にやってきて、「今日は夜間運転の練習です。車線変更の練習もします」と言う。「え~夜間に車線変更をするの?」と思ったが、有無を言わせず走り出す。最後の日は「縦列駐車と坂道発進の練習」だ。 こうして4日間の教習が終わった。あとは「運輸局での試験をがんばって」といわれて、運輸局の試験免許の教習所に連れていってくれた。おかげで4日間の短期集中訓練で、なんとか運転試験にも合格して、晴れて免許証が手に入った。
それからオールズモビルのカトラス・シェアラを中古で購入した。最初にカトラス・シェアラに乗った時の感覚は忘れられない。ベンチシートでバカでかいのだ。燃費も悪い。でも中古だったけれど、大きな故障もなくなんとか動いてくれて助かった。
帰国してからニュージャージの免許証を国内免許に切り替えに、横浜の二俣川の運転試験場に行った。係員から日本の交通標識を見せられて「〇で囲まれた横一本の標識は何ですか?」と聞かれて、「分からない」と答えた。「よく勉強してくださいね」と言われてOKが出た。あとで調べて分かったのだけれど、侵入禁止の標識だった。米国では「Do Not Enter」と書いてある標識だ。
帰国してからはトヨタに乗ったけれど、そのすわり心地の良さとエンジン音の静けさにびっくりした。これでは米国車が国内で売れないわけだと思った。それに左ハンドルから右ハンドルに慣れるのにも大変だった。ウインカーを出そうと思うとワイパーが動く、乗る時につい助手席から乗ろうとする。それに車の来ない道で曲がろうとすると左右の車線を間違えて逆走しそうになる。
米国留学経験者の間で必ず話題になって盛り上がるのは、米国での車にまつわる失敗談だ。
