
原薬とは医薬品の原材料で、薬理活性を有する有効成分のことだ。英語ではAPI(active pharmaceutical ingredient)と呼ばれる。厚労省では原薬を「医薬品の生産に使用することを目的とする物質または物質の混合物で、医薬品の製造に使用されたときに有効成分となるもの」と定義している。
この原薬の調達が今、日本では危機的な状態にある。理由は海外の一部の原薬企業における不純物の混入など品質問題やGMP基準違反による供給停止、さらには最近の新型コロナパンデミックによる原薬のグローバルなサプライチェーンの寸断による調達の遅れ、そして昨今の円安や物価高騰による原薬のコスト増などである。
本稿ではこうした医薬品のカナメともいえる原薬供給危機のこれまでを振りかえってみよう。韓国の原薬メーカーのGMP違反問題、バルサルタン原薬の発がん性物質混入問題、セファゾリン供給停止問題。
2012年に韓国の原薬メーカーが原薬の製造過程でGMP違反を指摘された。このため厚生労働省は2013年1月に原薬の供給を受けていた国内後発品メーカー13社に対し製造管理・品質管理に関する改善命令を出した。医薬品医療機器総合機構(PMDA)が海外製造所のGMP調査を開始した2004年以降、国内13社に一斉に改善命令を出すのは初めてのことだった。このため韓国の原薬メーカーから供給を受けていた国内13社が相次いで後発医薬品の販売の停止をした。海外の原薬メーカー不祥事で国内の後発医薬品流通が大規模に停止したのはこの事例が初めてだった。
次にバルサルタン問題を見ていこう。中国の製造所で製造された降圧剤のバルサルタンの原薬から発がん性物質が2018年6月にスペインで検出され、欧州で製品回収が始まり世界的な問題となった。バルサルタンの原薬製造過程で、発がん性物質であるニトロソアミンの一種であるN-ニトロソジメチルアミン(NDMA)やN-ニトロソジエチルアミン(NDEA)が発生した事件である。このため国内でも2018年7月にあすか製薬は、バルサルタン錠「AA」の全ロットを対象に自主回収した。一方で、この問題はバルサルタンにとどまらず、欧米ではインドの製造所で製造されたイルベサルタンでもNDEAが検出されたことが公表され、オルメサルタン、ロサルタンなどのサルタン系の医薬品に広く広がり世界的問題となった。
バルサルタンの製造過程でニトロソアミンが混入した原因は以下である。バルサルタンの製造において反応で余ったアジ化試薬の反応をストップする目的で亜硝酸ナトリウムを使用したところ、溶剤のジメチルホルムアルデヒドと反応し、NDMAが副生し、原薬に残留したためである。
このため厚労省は2018年11月に通知で、これまで先発医薬品にのみ適応されていた原薬の発がん性物質の管理ガイドラインICH-M7を後発医薬品にも適応することとした。これにより原薬の管理値が「NDMA 0.0959 µg/日、NDEA0.0265 µg/日」以下に定められることになった。
しかし、事態はさらに広がる。2019年9月に胃潰瘍薬のラニチジン、ニザチジンにもニトロソアミンの混入が認められた。そのメカニズムは明確でないものの、原薬の分解によりNDMAが生成されることが示唆された。ラニチジン、ニザチジンはその分子構造にNDMAと類似構造を持っている。また2019年12月にはシンガポール保健科学庁が糖尿病薬のメトフォルミンからNDMAが検出されたことを公表した。混入原因は明確ではないとしたうえで、「PFPアルミ箔の錠剤接触面の印刷インクに含まれるニトロセルローズ系樹脂由来物質が、原薬中のジメチルアミンと反応してNDMAが生成した」可能性があるとしている。
さらに2021年6月ファイザーは禁煙補助薬のチャンピックスの特定ロットに有効成分のバレニクリンに由来するニトロソアミン(N-ニトロソバレニクリン)が検出されたと公表した。このようにニトロソアミン問題は多くの医薬品の中で広範囲に広がった。
抗菌剤のセファゾリンは日医工がイタリアの原薬メーカーの2社より原薬を輸入して製造販売を行っていた。2018年末よりイタリアの原薬メーカーの1社から輸入している原薬に異物混入ロットが急激に増え、製造できない状況になった。原因はイタリアの1社の委託先でのナトリウム塩化工程製造でのトラブルだった。一方、セファゾリン原薬の出発物質であるテトラゾール酢酸(TAA)は世界で唯一中国のメーカが製造していた。しかし同社が環境規制問題で、中国当局の指示により生産を中止したため、世界的にセファゾリンの供給停止となった。このため日医工は2019年2月、国内の全医療機関に対してセファゾリンの供給停止を行った。供給停止は2019年11月まで続いた。このため代替薬への置き換えが起きたが、代替薬にも出荷調整等の影響が広がった。このため特に術中投与の抗菌剤不足が国内で広がった。
原薬の製造工程は複雑で長い工程をたどる。そしてその多くを海外の製造所に依存している。まずその製造工程を見ていこう。原薬の製造工程は化学反応を多段階で組み合わせて製造する。原薬ができるまでには原料、中間体を試薬や溶媒を用いて多段階の製造工程を経る。使用する試薬や溶媒には可燃性、爆発性のある危険物が多い。また毒劇物であることも少なくない。このため安全対策と原薬への残留量管理が必須である。また副生成物として有毒物質(ハロゲン化物、硫化水素等の悪臭ガス、色の濃い排液等が発生することがある。このため製造所は環境問題を引き起こすこともある。一度、山陽地方の原薬工場を見学したことがある。原薬工場はこうした環境問題のため都市部から離れた山間地にある。工場内では何台もの反応釜が並び、そこから出る熱気と騒音、においに包まれていた。こうした原薬製造所の環境問題から今では国内での原薬製造所は減少し、中国、インドなどに移っている。
また原薬の製造工程が長いので、原料製造所、中間体製造所、粗原料製造所、原薬製造所と分業するケースが多い。また複数の原薬で共有可能な原料、中間体が多いことが分業化に拍車をかける。そして国内、国外に製造所のサプライチェーンがクモの巣のように複雑に張り巡らされている(図表1)。。
図表1

Meiji Seikaファルマ株式会社 太田和美氏資料より
こうした事情から後発医薬品の原薬の海外依存が高まってて、50%が海外原薬に依存し、国内原薬は30%程度である。海外では図表2のように企業数ベースでみると中国、インド、イタリア、韓国で65%を占めている。一方、購入金額ベースで見ると順位が入れ替わり、韓国、中国、インド、イタリアの順となっている。
このように多国間で企業分業が進むと同時に、競争力の強い原薬銘柄が複数の製薬メーカーによって共有されるために、特定銘柄による原薬や中間体の寡占化が進み、セファゾリン問題で見たように中国の1メーカーに重要中間体TAAが独占され、その企業の撤退が世界的な影響をもたらすことになる。
図表2

さて、原薬における法規制について見ていこう。原薬の開発段階においては、安全や環境を守るための法律である「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法)」や「労働安全衛生法」が適応となる。また医薬品としては、医薬品医療機器等法の適用をとなる。この医薬品医療機器等法に従い、原薬製造業者は、製造所毎に厚生労働大臣の許可を受ける必要がある。
原薬は、そのままでは一般消費者に販売されることはなく、医薬品の製剤を行うための「製造専用の医薬品」として使用される。医薬品の製造販売業者は、製造販売承認申請書に原薬の製造及び品質に関する情報を記載して規制当局に提出する。具体的には原薬製造業者が作成し当局に届出た原薬等登録原簿(マスターファイル:MF)から原薬の情報を引用して提出する。
マスターファイル(MF)とは以下である。原薬製造業者の原薬の製造法や品質に関する情報には特許事項などの保護すべき知的財産も含まれている。この原薬製造業者の知財保護の観点からMF制度が導入された。原薬製造業者は原薬の製造方法・製造管理・品質管理等に係る審査に必要な情報をMFに登録する。製造販売業者は、規制当局に提出する製造販売承認申請書にはMFに登録された原薬の名称や登録番号、登録証公布日のみを記載する(図表3)。医薬品の製造販売承認申請の審査時点ではMFの内容についても審査が行われる。
図表3 マスターファイル制度

独立行政法人医薬品医療機器総合機構 審査マネジメント部 医薬品基準課 MF管理室資料より
また原薬製造業者は、製造販売業者との間で、医薬品の品質管理の基準であるGQP(Good Quality Practice)で定められた製造販売品質保証基準の取決めをもとに、製造管理及び品質管理の基準であるGMP(Good Manufacturing Practice)を遵守して製造を行う。そして当局によるGMP適合性調査及び医薬品製造業許可の定期的な更新を受けることになる。
また原薬を輸出入するには、輸出入先国の制度に適合する他、医薬品医療機器等法などの国内の規定に従って手続きを行う必要がある。
また医薬品は前述したように国際的な分業体制のもとで供給されるので、以上のような国内法に基づく規制のほか、国際的な立場から守るべき以下のガイドラインも作られていて,これを遵守する必要がある。CTD、ICH、PIC/S、各国の薬局方や環境規制など。
CTDとは、コモン・テクニカル・ドキュメント(Common Technical Document)の略称で、医薬品の承認申請のために作成する日米欧共通の国際共通化資料のことである。 この資料は、申請する医薬品の品質や臨床試験に関する情報や申請様式などの申請資料を、国際的な共通化を目指してまとめたものである。このCTDにより海外原薬のMFも引用しやすくなっている。
ICHは、医薬品規制調和国際会議(International Council for Harmonisation of Technical Requirements for Pharmaceuticals for Human Use)のことである。医薬品規制当局と製薬業界の代表者が協働して、医薬品規制に関するガイドラインを科学的・技術的な観点から行う国際会議である。前述の原薬の発がん性物質の規制の国際調査もこのICHにより取り決めが行われている。ICHは、1990年の創設以来、グローバル化する医薬品開発・規制・流通等に対応するべく、年々進化し高度化している。先述のバルサルタンにおけるニトロサミンの検出も検出技術の精密化・高度化と、これまで国内では先発医薬品にのみ適応されていた原薬の発がん性物質の管理ガイドラインICH-M7を後発医薬品にも適応することとした結果である。
PIC/Sは、医薬品査察協定及び医薬品査察共同スキーム(Pharmaceutical Inspection Convention and Pharmaceutical Inspection Co-operation Scheme)のことであり、医薬品分野における国際的に調和されたGMP基準および査察当局の品質システムの開発・実施・保守を目的とした査察当局間の非公式な協力組織だ。
また日米欧の薬局方はそれ各国の原薬規格を定めている。日本の薬局方(JP)は先発品企業が提案している内容で設定していることが多い。一方、米国の薬局方(USP)や欧州の薬局方(EP)では後発品企業の意見や管理状況も反映されている。どちらかと言えば、JPはより厳しい品質規格設定になる傾向がある。このため日米欧の薬局方の違いの溝があるのが現状だ。
また我が国では文化や感性に起因して品質要求のレベルが欧米よりは高い。日本では原薬の異物や、白色に対するこだわり、残留溶媒等に起因するにおいに対して敏感である。一度、PMDAの窓口に消費者から製剤のにおいの苦情が寄せられたことがある。精査したところ、インドの製造ラインにおける洗浄液の残留が原因だった。この製剤でにおいの苦情が出たのは日本だけであったという。
以上見てきたように医薬品のカナメである原薬の製造流通過程には様々な以下のリスクが付きまとう。製造過程における不純物混入リスク、発がん性物質の副生、特定の原薬メーカーや重要中間体メーカーの寡占化や、海外依存、薬事制度の日米欧の差異、原薬製造に対する環境政策の影響など。
さらに昨今の新たな危機としては、コロナなどの感染症パンデミックによるサプライチェーンの寸断や、ウクライナ戦争による、航空便の航路変更や航空運賃の変更、エネルギー・物価高騰による原材料高騰などが原薬調達に影響を与えている。また日本では薬価下落による原薬取引価格への値下げ圧力による原薬メーカーの収益力低下、原薬メーカーの生産能力や品質管理体制のひっ迫、原薬企業の開発投資余力の低下、また我が国における円安、物価高による海外原薬の調達コスト増が大きな課題となっている。
日薬連によると2021年と2022年を比較すると、直近の物価上昇、為替変動により原薬、原材料の調達コストが激増している。原薬は200%増、原材料は420%増となっている。特に後発医薬品は薬価が先発品に比べて安価な分、製造原価率が相対的に高く、原薬や原材料の高騰の影響を受けやすい。後発医薬品では製造原価が薬価の80%を超える品目が3割以上も占める。その中には安定確保医薬品や基礎的医薬品といった医療上の必要性の高い医薬品が多数含まれている。こうした製造原価の高騰は医薬品の場合、公定薬価が定められているため製品にコストを転嫁することができない。また昨今の国際的な原薬調達リスク回避のため原薬調達先のマルチソース化にもコストがかかる。また原薬の安定供給のための予備在庫や備蓄にも経費がかかる。
このままでは後発医薬品の新たな供給不安や欠品、出荷調整につながりかねない。また原薬調達の停止がいつ、どこで起きるかもわからない。そもそも原薬の調達ルートが複雑に入り組んでいるので、どこにその調達ボトルネックがあるのかも、サプライチェーンを丹念にマッピングをしなければ明らかにならない。このため事前にその有効な防止策の立案も困難だ。
さらに国際紛争や感染症パンデミック、火災や水害、地震などの自然災害、また各国の経済安全保障戦略や環境規制行政の急な変更も原薬調達に影響を及ぼす。とくに医薬品は各国にとって戦略物質の一つであるので、国際間の関係悪化によっていつなんどき原薬の輸出停止の憂き目にあうかもしれない。
いつの時代でも医薬品は戦略物質である。第二次世界大戦中、日本の潜水艦が極秘裏にドイツから、当時開発間もないペニシリン(碧素)の原薬製造に関する論文を、南アフリカの喜望峰経由で日本に運びこんだことがある。それによってペニシリンの国内生産に成功したという逸話が有名だ。それくらい医薬品は国の安全保障のカナメである。
原薬が時代を超えて医薬品の安定供給の最大のカナメであり、戦略物資であることを改めて認識すべきときだ。