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認知症ステイグマスケール


 団塊の世代800万人が後期高齢者となる2025年、認知症の人も爆発的に増える。その時、認知症の人は65歳以上高齢者の5人に1人、730万人にも達するといわれている。しかし認知症の人に対する差別・偏見はまだまだ多い。本稿では認知症の人に対するスティグマ(差別・偏見)とスティグマの度合いを計る認知症スティグマ評価スケール、そして2024年6月に施行された認知症基本法について見ていこう。認知症基本法の理念は認知症の人の差別・偏見を乗り越えた先の認知症の人との共生社会の実現だ。

1 認知症の人への差別・偏見

 痴呆から認知症へと呼び方が変わったのは2004年である。痴呆という差別・偏見に満ちた呼称変更の要望を最初に厚労大臣に提出したのは長谷川式の認知症簡易スケールで有名な聖マリアンナ医科大学名誉教授の長谷川和夫先生だ。その要望を受けて2004年6月「痴呆に変わる用語を検討する委員会」が開催された。委員会ではまず、一般の人にわかりやすく、そして不快感や侮蔑感を覚えさせない呼称にしようと進められた。一般からの意見を募ったところ多数の応募があり、その中から「認知障害」「認知症」「アルツハイマー」「物忘れ症」の4つの候補がまとめられた。なかでも「認知障害」と「認知症」の得票数が多かった。ただ認知障害はすでに精神医学の用語として定着していたので、これとは区別する意味から「認知症」と言う呼称が採用された。それ以来、20年を経て「認知症」が社会に定着した。

しかし今や認知症も「ニンチ」と誰でもが使うことで、新たな差別用語になりつつある。われわれ医療従事者もよく「ニンチ」と言うが、これがどれだけ認知症の人の気持ちを傷つけているのか知るべきだ。医療従事者が普通に家族に「あなたのおじいさんは入院した時から比べたらニンチは進んでいませんよ」と何気なく言った言葉にも、家族は「言い方ってものがあるでしょうに・・・」と感じる人もいる。また祖母を連れてきたマゴが医師に「うちのば~ちゃんはニンチが進んでいて・・・」と言うのを聞いて、祖母は「なんてひどい言い方・・・」と心を痛めているかもしれない(図表1)。認知症の人でも感性や不安感は健常者と変わらない。このため認知症と言う言葉ももはや差別用語化しているとも言える。

図表1

認知症を「認知」と呼ばないで みんなの介護 認知症第46回 

 先日、外来をしていて軽度の認知症の人の便潜血陽性で大腸内視鏡を予約しようとしたら、「認知症の人は指示に従えないので大腸内視鏡はできません」と言われてビックリした。「軽度の認知症なので検査して欲しい」となんとか頼み込んだ。また認知症の人の白内障の手術もダメと言う病院も時々あるという。65歳以上の5人に1人が認知症と言う時代、こうした差別・偏見がいたるところに横たわっている。これにどのように対応すべきだろう。

2 まん延している認知症への差別・偏見

 認知症への差別・偏見は地域社会にいまだにまん延している。たとえば「認知症の人は一人にしてはいけない。24時間誰かに見守ってもらうべきだ」、「あなたは認知症なんだから、一人暮らしはムリ、施設に入りなさい」、「あなたはまともじゃありません。周りの人に迷惑ばかりかけてる精神異常者です。すぐにも入院しなさい」、「一人で出歩いたりしたら危険、踏切で電車にひかれたり、道路で車にひかれたりしたら大変。散歩も買い物も一人では禁止です」。

 このように認知症に対するイメージはネガテイブなものが多い。2019年の内閣府の認知症に関する世論調査でも「認知症になると身の回りのことが出来なくなり、介護施設に入ってサポートを利用することが必要になる」と考えている人が40%もいた。「認知症になると暴言、暴力で回りの人に迷惑をかけるので地域で生活することができなくなる」が8%、「認知症になると、症状が進行してゆき、何もできなくなってしまう」が8.4%もいる。このようにおよそ6割が認知症に対してネガテイブなイメージを持っている(図表2)。

図表2

こうした認知症への誤解によるネガテイブなイメージが認知症の人を社会的に孤立させ、これにより症状が悪化し、地域での生活の継続の妨げになる。

3 認知症スティグマ評価尺度

 認知症スティグマは、認知症の人の受診や治療の遅れ、社会交流の減少などにつながり、認知症の人と家族の生活の質を低下させるため、認知症スティグマの克服は世界共通課題だ。世界保健機構(WHO)は、2025年までの行動計画に「認知症スティグマの解消」を位置付けている。このため社会にまん延する認知症スティグマの実態をまず知ることが重要だ。こうした認知症のスティグマの度合いを計る尺度が最近開発された。

 認知症スティグマ評価尺度を開発したのはオーストラリアのウオロンゴン大学のリン・フィリップソン准教授で、2014年のことだ。このためこの尺度は「フィリップソン認知症スティグマ評価尺度(Phillipson Demetia Stigma Assessment Scale:PDSA)と呼ばれている。

 PDSAは26項目の質問票からなる。質問票の抜粋は以下のようだ。「ほとんどの認知症の人には、複雑で面白い会話は期待できない」、「認知症の人は、誰にも迷惑を掛けないところに住むのが一番だ」、「私が言っていることは理解できないので、認知症の人に話かける意味はない」、「もし私が認知症だったら、主治医は私の他の病気に最善の治療をしてくれないだろう」など。それぞれの質問について5段階で評価し、点数が高いほうがスティグマの度合いも高いとされる。また26項目の質問項目は①回避(認知症の人の回避・排除)、②診断の恐怖(認知症診断への恐怖)、③尊重(認知症の人への尊重、前向きな態度)、④差別の恐怖(認知症に対する社会構造的な差別への恐怖)の領域からなる。

 このPDSAを日本語訳したのが、国立研究開発法人国立長寿医療研究センター老年社会科学研究部の野口泰司主任研究員、斎藤民部長らのグループだ。PDSAの原作者であるフィリップソン准教授の許諾を得て、PDSAの各質問項目について2名の研究者により日本語版(案)の作成が行われた。日本語版(案)は、他の研究者も交えた合議にて統合され、2名の翻訳に相違がある場合は協議のもと修正・統合がされた。統合された日本語版は、英語を母国語とする第3者により再度英語への逆翻訳(バックトランスレーション)がなされ、元のPSDAの内容と相違がないかどうかを確認した。

 相違がある場合、日本語への翻訳からやり直しがなされ、これらの手順を経てPDSA日本語版(PDSA-J)の草案を作成された。作成されたPSDA-Jが、日本人において適応可能か検証するために、インターネット調査を通じて20歳から69歳の一般成人819人(平均年齢45.9歳、女性割合52.0%)に回答を求めた。

 こうして得られたPSDA-Jの回答データを、因子分析を用いて質問項目の回答が想定されたとおりに測定できているか分析し、最終的に全26項目からなるPSDA-Jを構築した。さらに、行政施策や地域診断などで使用しやすいように代表する12項目から成る短縮版(PDSA-J12)の作成も行われた。

図表3

 このPDSA-J12を用いた研究を紹介しよう。野口らは認知症の人との交流・学習経験と認知症ステイグマに関係する論文を発表している(文献3)。論文では、認知症の人との交流経験のある人、同居の経験のある人、および認知症についての学習経験のある人の3つの群について、認知症スティグマとの関係性を分析した。それによると認知症と人と交流経験のある人は、認知症ステイグマ評価スケールの4つの領域、①回避、②診断の恐怖、③尊重、④差別の恐怖のうち、①、②、③の領域がステイグマが低かった。また同居経験のある人では、①、④の領域ノステイグマが低かった。そして学習経験のある人では、①が低く、②が高い結果が示された。このように本研究では、日本における人々の認知症ステイグマを評価するスケールを使用することで、認知症の人との交流や学習経験がステイグマの低減や尊重的態度の醸成に貢献する可能性が示された。このように、認知症ステイグマの現状での把握とその克服を通じて、認知症の人と共生社会を形成することが期待される。

4 認知症施策のこれまでの経緯

 次に我が国の認知症施策のこれまでの経緯について見ていこう。認知症施策は1986年、旧厚生省が痴呆性老人対策本部を設置した時より始まる。そして前述のように2004年に痴呆が認知症と呼称変更される。そして2010年、厚労省の「認知症施策検討プロジェクトチーム」が設置される。このチームによる検討をもとに、2012年に、具体的な数値目標を定めた「認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)」(2013~2017年度)が策定された。

(1)オレンジプランと新オレンジプラン

 このオレンジプランによる取り組みが実施される中、2014年11月、「認知症サミット日本後継イベント」が東京で開催された。世界10か国以上から、300人を超える専門家等の参加があり、「新しいケアと予防のモデル」をテーマに、活発な議論が交わされた。これを契機に2015年から「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」がスタートする。

 「新オレンジプラン」は、オレンジプランから引き継いだ7つの柱、認知症の理解、医療・介護、若年性認知症施策等で構成している。そして、オレンジプランの内容をベースに、新しい項目の追加や、目標値の引き上げなどを行った。また、オレンジプランは厚生労働省内で策定したのに対して、新オレンジプランは関係省庁が共同して策定し、認知症の人の生活全般に及んでいることが特徴だ。

(2)診療報酬と認知症施策

 2015年に策定された新オレンジプランは、診療報酬における認知症施策にも影響を与える。まず2016年に認知症ケア加算が導入される。認知症ケア加算は身体疾患のため入院した認知症患者に対して病棟でのケアや多職種チームの介入を評価した加算である。多職種チームは精神科や神経内科の医師、認知症看護認定看護師、社会福祉士または精神保健福祉士で構成される。この認知症ケア加算は一般病棟、療養病棟など多くの病棟で算定が可能で、身体合併のある認知症患者を広く受け入れる狙いがある。

 次に2018年診療報酬改定では認知症関連項目が目白押しだった。同改定では入院基本料の評価項目の一つである重症度、医療・看護必要度に認知症やせん妄を評価する項目が取り入れられた。具体的には重症度、医療・看護必要度のB項目の「危険行動」、「診療・療養上の指示が通じる」があれば、これまでの「A得点2点以上かつB項目3点以上」が、「A得点1点以上かつB項目が3点以上」に改められた。このため入院病棟で多くの認知症の入院患者をかかえる病棟の重症度、医療・看護必要度の重症患者割合が4~5%もアップして、これらの病棟の入院基本料7対1の取得を後押しした。

 次に2018年改訂では、認知症疾患医療センターに対する診療報酬評価の見直しが行われた。認知症疾患医療センターとは、認知症疾患に関する専門的な鑑別診断の実施など、地域での認知症医療提供体制の活動拠点として2008年より設置が始まった。認知症疾患医療センターには以下の3類型がある。①基幹形、②地域型、③診療所型(地域連携型)。①の基幹型は総合病院で都道府県単位で設置されている。②の地域型は単科の精神医療病院で二次医療圏単位で設置される。これら病院に対して③の診療所型(地域連携型)は精神科の有床診療所などが対象である。このうち③の診療所型がこれまで報酬評価の対象とされていなかった。これが2018年報酬改定で評価対象となった。これにより地域に密着した診療所型の認知症疾患医療センターの増加が期待されている。

 2018年改定では、認知症サポート医が行うかかりつけ医への指導・助言について「認知症サポート指導料(450点)」が新設された。認知症サポート医とは認知症の医療、介護に係るかかりつけ医や介護専門職に対するサポートを行う医師のことだ。2日間で10時間の研修を受けることで認知症サポート医となれる。その役割は認知症の専門医とかかりつけ医の間に立って、地域の認知症の連携の推進役となることだ。2021年現在認知症サポート医はおよそ1万2千名を超えている。

(3)認知症施策推進大綱と認知症基本法

 さて、こうした中、2019年には「共生」と「予防」を柱とした認知症施策推進大綱が閣議決定される。大綱において「共生」とは、認知症の人が、尊厳と希望を持って認知症とともに生きる、また、認知症があってもなくても同じ社会でともに生きることとしている。また「予防」とは、「認知症にならない」という意味ではなく、「認知症になるのを遅らせる」「認知症になっても進行を緩やかにする」という意味としている。

 この大綱が閣議決定した2019年には、自民党・公明党によって最初の「認知症基本法」が国会に提出される。しかし2021年の衆議院解散によりこの認知症基本法は一旦、廃案となる。しかし廃案後も同法案は超党派議連によって進められ、2023年5月再び国会に提出され、同年6月に「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」として成立する。そして1年後、すなわち2024年6月に施行される運びとなった。

 認知症基本法は認知症の人が尊厳を保持しつつ希望をもって生活することができ、認知症の人を含めた一人ひとりが個性と能力を発揮し、相互に人格と個性を尊重しつつ支え合う共生社会の実現を目指したものである。その基本施策として以下の8つの項目が挙げられた。①認知症の人に関する国民の理解の増進、②認知症の人の生活におけるバリアフリー化の推進、③認知症の人の社会参加の機会の確保、④認知症の人の医師決定の支援及び権利利益の保護、⑤保健医療サービスおよび福祉サービスの提供体制の整備、⑥相談体制の整備、⑦研究等の推進、⑧認知症の予防が示されている。

(4)認知症施策推進基本計画

 上記の認知症基本法の理念を実行するために、内閣に内閣総理大臣を本部長とする認知症施策推進本部を2024年11月に設置し、認知症施策推進基本計画の案の策定と都道府県における実施の推進を進めることとした。

 このため石破首相は2024年11月29日、認知症施策推進本部の会合を首相官邸で開き、認知症の人が暮らしやすい社会を目指す「認知症施策推進基本計画」の案を了承した。了承された基本計画の案では、認知症と共に希望を持って生きるという「新しい認知症観」を提唱した。そして重点目標として、①「新しい認知症観」の理解の促進、②認知症の人の意思尊重の促進、③周囲との支え合い、地域で安心して暮らせる環境の整備、④認知症を巡る新たな知見や技術の活用を取り決めた。

新しい認知症観」とは、「認知症になっても、希望を持って暮らしていける」という共生社会の実現の考えである。新しい認知症観の具体としては、日常生活におけるバリアフリー化や、社会参加の機会を増やすなどの施策を掲げた。今後、自治体が当事者の声を踏まえて具体的な推進計画を作ることになっている。

 こうした認知症施策の前提となるのがわれわれ医療人を始めとしたすべての関係者が認知症スティグマを理解し、認知症の人に対する心のバリアフリー化に取り組むことである。

 いつ誰れもが認知症になるか分からない時代である。また家族が認知症の人になりそのケアラーに誰もがなる時代である。すべての人がわが事として認知症基本法の以下の理念を心に刻みたい。認知症の人がいつでもその人らしく生きることができ、住み慣れた地域で希望をもって生きることができる社会の実現だ。

参考文献

1)認知症を「認知」と呼ばないで みんなの介護 認知症第46回

2)内閣府広報室 認知症に関する世論調査 2019年12月

認知症に関する世論調査(令和元年12月調査) | 世論調査 | 内閣府

3)Noguchi T, Nakagawa T, Komatsu A, Shang E, Murata C, Saito T. Role of interacting and learning experiences on public stigma against dementia: an observational cross-sectional study. Dementia, 22(8);1886-1899, 2023. doi: 10.1177/14713012231207222.
論文リンク:https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/14713012231207222

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