エッセーの投稿

米国の医師の働き方改革~リビー・ジオン事件~


       ニュージャージからみたマンハッタン

 米国で1984年に医師の働き方改革が始まったきっかけは「リビー・ジオン事件」だ。長時間連続勤務していたレジデントが女子高校生リビー・ジオンに誤った投薬を行い死亡させた事件がきっかけだ。この事件を契機に1989年にニューヨーク州で「レジデント労働時間規制」がスタートする。当時、私はニューヨークの大学病院で臨床留学していた。留学先のブルックリンの病院ではこの話でもちきりだった。

 当時の米国のレジデントの労働環境は過酷だった。とくに医学部を出たばかりのレジデント1年生の勤務は「スレーブワーク(奴隷仕事)」とさえ呼ばれていた。週に2日も病棟当直があったりする。当直明けでも通常勤務だ。当直では眠ることができない。このため当直の朝から次の日の夕方まで30時間連続勤務だ。このためロッカールームのソファーではレジデントが男女を問わず雑魚寝をして仮眠している風景が当たり前だった。とくに外科のレジデントは過酷だ。そもそも外科病棟の朝が早い。朝の6時から病棟回診が始まり、8時から手術室に入室する。

 当時、ニュージャージのハドソン川沿いのフォートリーのアパートに、家族一緒に住んでいた著者は、外科のローテーションのときは朝4時半の始発バスでジョージワシントン橋を渡り、マンハッタンの地下鉄を乗り継いでブルックリンの大学病院まで通っていた。やっと夜が明けた6時に大学病院に滑りこんで外科病棟の回診に加わったのが懐かしい思い出だ。

 そうした時、冒頭のリビー・ジオン事件が起きる。リビー・ジオンはニューヨークのマンハッタンに住む18歳の女子高校生だ。1984年のある日,彼女は熱発のためにニューヨークの病院の救急治療室を訪れた。彼女は,救急室での待機中に興奮状態に陥ったので,担当レジデントは,その興奮を押さえるために鎮静剤のメペリジンを注射した。しかしその後,彼女の体温は40度に急上昇し,呼吸停止から死亡してしまったのである。いわゆる悪性高熱症による死亡である。調査の結果,リビー・ジオンはメペリジン投与が禁忌とされていたMAO阻害剤であるフェネルジンという抗うつ剤を服用していたことが判明した。治療にあたったレジデントがこれを知らずにメペリジンを投与したため患者の死を招いてしまったのである。
 このレジデントがメペリジンを注射した時,彼は救急室ですでに20時間の連続労働を続けていた。したがって,判断ミスと過労との関連がこの時点で疑われた。
 さて,リビー・ジオンの父は娘の医療ミスに対し訴訟を起こした。彼はニューヨーク・タイムズ紙の記者でもあり,この訴訟を単なる医療ミスで終わらせたくなかった。レジデントの長時間勤務が引き起こした構造的な医療ミスであるという主張で,ロビー活動を行う。この結果、裁判では,彼の主張は全面的に認められ,その後,ニューヨーク州では州法により,レジデントの長時間労働を規制する法律ができた。

 これが米国における医師の働き方改革の始まりだ。このように米国では医師の働き方改革は患者安全から始まったのだ。それが日本では患者安全より地域医療の崩壊に目が向いている。このため働き方改革と地域医療との両立のために特例的なB水準を認めている。しかしB水準は1860時間以内という常識はずれな基準だ。B水準の廃止が求められる。