
アメリカン・ボード(American Board of Commissioners for Foreign Missions)は1810年創設のアメリカ初の組織的な海外宣教団体だ。19世紀アメリカ最大の宣教組織として世界各地に大きな影響を与えた。インド、セイロン(スリランカ)、中国、日本、オスマン帝国、アフリカ、ミクロネシア、ハワイなどに宣教師を派遣した。19世紀末までに約5,000人の宣教師を34か国へ派遣した。日本にもヘボンをはじめとした数多くの宣教医を派遣したことで知られている。
このアメリカン・ボード派遣の宣教医のひとりにジョン・カッティング・ベリー(John Cutting Berry、1847~1936)がいる。カッテイングは日本に派遣され、同じくアメリカン・ボードから日本に派遣されたヘボンとならんで、「東のヘボン、西のベリー」と呼ばれていた。
ベリーは米国の東海岸の小さな州メイン州で生まれる。4歳の時、船長だった父が亡くなり、父の友人の家に引き取られる。生活のために11歳から働くようになった。キリスト教の影響を受けて17歳で受洗。20歳の時に乗り込んだ船が嵐に遭遇した際に「神様が何事かのために私の命を護って下さった」と感じ、「これからの生涯を神の示し給う導きのままに従う」と決意する。
こうした体験を経て、ベリーは1871年にフィラデルフィアのジェファーソン医科大学を卒業し、アメリカン・ボードの宣教師となる。翌1872年(明治5年)に来日、同年に兵庫国際病院(神戸万国病院。後の神戸海星病院)の医事監督に就任した。同病院でベリーは聖書を読み聞かせることと引き換えに日本人の貧民を無料で診察した。ベリーはさらに兵庫県の要請により兵庫県病院(後の神戸大学医学部付属病院)の支配頭に就任し、神戸・姫路・明石・加古川・有馬・三田などで医療活動を行った。ベリーは月に500-700人ほどの患者を診察し、その傍ら地元の医師への指導も行った。1873年には兵庫県病院で、750人の医師・医学生が立ち会う中、兵庫県初の人体解剖を行ったという。
1877年(明治10年)に神戸の監獄でコレラが大流行した際には兵庫県の要請を受けて監獄内に入った。その際、監獄内の不衛生な環境や囚人に対する非人道的な扱いを目にし、兵庫県知事に監獄制度の改善案を提出した。こうした動きは日本における監獄改良運動の端緒となったと評価されている
その後、1878年に岡山へ移り、県立病院の改革に取り組む。1883年に京都に移り、1887年同志社病院長に就任。日本初の看護学校である同志社病院付属京都看病婦学校の設立にも関与した。1893年に日本を去り米国に帰国する。
ベリーはこうして日本の医学教育、医療行政、公衆衛生、看護教育に多大な影響を残した。
