
いまや医療・介護の分野でDXと言う言葉を聞かない日はない。「DXはどこから始めたらいいの?」、「そもそもDXってな~に?」。本シリーズは著者が昨年表した「医療・介護DX~コロナデジタル敗戦からAIまで~」(日本医学出版2023年)を、分かりやすくQ&A形式で書き下ろしたものだ。DXを初心者目線で解説した。シリーズは4回にわたる。1回に2つぐらいのQ&Aと、1つのコーヒーブレイクを入れた。気軽に読んでいただければ幸いだ。
Q&A そもそもDXってなに?
最近、DXという言葉をよく聞く。DX(ディーエックス)って何のことだろうか?DXとはデジタル・トランスフォーメーションのことだ。私もDXと聞いて、最初はよくわからなかった。そもそも「トランスフォーメーションの略語がなぜX?」と思った。トランスフォーメーションとは変革のことだ。つまりデジタル・トランスフォーメーションとはデジタル化を通じた産業構造の変革に他ならない。
トランスフォーメーションに「X」の文字を当てるのは、英語圏の略語を使っているからだ。英語のTransformationのTransには交差するという意味がある。この交差を1文字で表す文字として英語圏ではXが用いられるからだ(図表)。
トランスとは、すなわち川の向こう岸に渡ることだ。急流を渡るのは危険が伴う。そういう意味で、変革にはかなりの覚悟が必要だ。産業の風景が、対岸ではガワリと変わって、産業革命のような大変化が生まれる可能性がある。これまでの考え方が通じなくなり、新たな仕事が生まれると同時に、古くからの仕事が消えていくことも考えられる。デジタル化の大波をかぶっておぼれる人もでてくるかもしれない。そうしたデジタル化の大変革を目前にしているのが今日の我々と言えるだろう。
Q&A 電子カルテの現状はどう?
著者小さなDX体験をお話しよう。それは電子カルテ体験だ。著者が病院で紙カルテから電子カルテに乗り移ったのは2010年ころのことだ。それまで電子カルテに対しては手書きカルテより、キーボード入力に手間がかかるし、率直に言って気おくれ感があった。しかし実際に思い切って電子カルテに移行してみると便利なことこの上ない。世界が本当に変わった。
まず病院の中で紙のカルテを探しまわる必要がなくなった。患者名やIDの検索で院内のいつでもどこでも患者カルテを呼び出すことができる。患者のフォローも簡単だ。たとえば外来で入院をさせた患者さんのその後をフォローしたいときはすぐに電子カルテを開ければ入院後の様子が手に取るようにわかる。さらに忙しい外来で、胸部レントゲンの過去画像との現在のレントゲンを比較するのも簡単だ。分厚いレントゲン写真の袋を探さなくても電子カルテの上で一瞬にして過去の画像が手に入る。心電図についても同じだ。また患者の過去の病歴や処方履歴をスクロールするだけで簡単に見ることができる。検査値データの変化もグラフ化して見えるなど、いいことづくめだ。電子カルテに移る前の不安や懸念は便利さの前に一瞬に吹き飛んだ。
ただ欠点もある。やはりキーボード入力だ。年配の医師の中にはキーボード入力が出来ずに、実際に引退した医師もいる。また電子カルテ導入前には外来診察で、患者の次回予約や栄養指導の予約、CTやMRIの予約などは、診察室にいる看護師さんに「予約、お願い~!」と言っていた。しかし電子カルテになったとたんに、予約業務も医師自らが電子カルテで行わなければならなくなった。
その時、思ったのはワンマンバスの運転手さんのことだ。昭和の乗り合いバスには女性の車掌さんが乗っていて、切符切りなど運転手さんの補助をしていた。それがワンマンバスになってから、オツリの出し入れから運転まですべての業務を運転手さんが行うようになった。電子カルテを使うようになってからは、ワンマンバスに乗るたびになんでも一人でこなすバスの運転手さんの気持ちが分かるようになった。
さて電子カルテの医療機関での現状の普及率はおよそ50%、これを政府は2026年までに80%、2030年には100%と設定している。なんと5年で倍増を目指しているのだ。まずは医療機関のDXはまずは電子カルテからだろう。
【コーヒーブレイク】
先年、デジタル化先進国のバルト三国の一つのリトアニアを訪れた時、同じバルト三国のエストニアのDX事情を聴く機会があった。エストニア首都のタリンでは99%が電子処方せんで紙の処方せんが無くなったという。患者が薬局で国民IDカードを差し出すと、薬剤師が手元のパソコンにIDを打ち込み、あっという間に医師の処方せんが呼び出されて、調剤が始まる。日本でも電子処方せんは2023年から始まったがなかなか普及しない。一方、エストニアでは2008年から始まって、今では当たり前になっている。電子処方せんになっていいことは、電子処方せんデータベースにはこれまで服用した薬の履歴などがため込まれている。このため慢性疾患でくり返し同じ薬が必要な場合は、メールや電話で医師に処方せんを出してもらえる。またデータベース上で薬の重複投与や相互作用なども検出できて副作用防止にもつながっている。
またエストニアでは、納税、運転免許の更新、出生・死亡届、選挙の投票まで、あらゆることがオンラインでできる。日本のようにわざわざ役所に半日かかりで足を運ばなく自宅で行政手続きが簡単にできる。こうしたデジタル化により、国内総生産(GDP)2%分のコストが削減されたという。
なぜこのようにエストニアではデジタル化が進んだのだろうか?理由はエストニアの国境を隔てているお隣のロシアにある。ウクライナのようにロシアからいつ攻め込まれるか分からないエストニアでは政府の電子化は国家の存続にかかわる一大事だ。いつでもロシアに攻め込まれてもいいように、政府のデータのバックアップは同盟国のルクセンブルグのデーターセンターに置かれて守られている。国が侵略されても、国民のデータは守られているという訳だ。いわば電子化は政府の危機管理戦略の一環というわけだ。こうした切羽詰まった状況の中で、電子化が一挙に進んだのだ。
顧みて日本の状況はとみると、電子化の第一歩は「まずハンコをなくすこと」だと言っている。なんとも平和で牧歌的な日本のDX風景だ。