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日本から薬が消える日


これまで「薬はあって当たり前」と思っていた。しかし、その薬が消える日がすでに始まっている。2020年、先進各国で上市されている新薬243品目の7割にあたる176品目が日本では上市されていない。この未承認薬のトップは抗がん剤だ。すでに日本は先進各国で使われている画期的な新薬が手に入らない国になっている。

 後発医薬品も同様だ。2021年の国内の後発医薬品企業の品質不祥事を端に2022年8月には後発医薬品を中心として、およそ4000品目が欠品あるいは出荷調整で手に入らなくなった。最近では外来で咳止めや去痰剤を処方しても調剤薬局から「その薬ありません」と言われるのが日常茶飯事となった。しかも後発品供給の回復の見込みは依然として立っていない。

 新薬も後発品も手に入らないのが当たり前の時代にすでに突入している。このままでは、今後10年で日本の市場から薬はどんどん消えていくだけだろう。どうしてこんな事態になったのだろう?こうした危機感から筆者は2024年6月に「日本から薬が消える日」(パル出版)を上梓した。本稿ではその内容をダイジェストでお伝えする。

 さて、日本で薬が消えそうになっている原因は、これまで国が取り続けてきた薬価抑制策に他ならない。日本は保険診療において公定薬価制度を採用する国だ。このため国が定める薬価によって医療用の医薬品費を一元的にコントロールすることができる。毎年の薬価改定は、前年の下落する市場実勢価格調査に応じて定められるので、常にマイナスだ。この薬価改定で浮いた財源を診療報酬本体部分、すなわち医療機関の人件費や技術料に回す。薬価改定が本体部分の財源補填の打ち出の小槌のように使われている(図表1)。本来は診療報酬の本体部分の財源は病院病床の構造改革や医療効率化等により生み出すべきものだ。しかし現実は削りやすい薬価から削りとるということでマイナス薬価改定が長年にわたって常態化している。図表1にこの30年間の薬価改定のマイナス改定の推移を示した。

図表1

 このため日本の医薬品市場は先進国の中でも唯一マイナス成長市場となっている。2022年に開かれた国の「医薬品の迅速・安定供給実現に向けた総合対策に関する有識者検討会議」(以下、有識者会議)では、日本の医薬品市場の悲観的な見通しが相次いだ。先進各国の2026年までの医薬品市場の成長率見込みを見ると、米国2.5~5.5%、英国4~7%、仏5.5~7.5%とプラス成長市場であるのに対して、日本はマイナス2~1%(マイナス0.6%)と唯一マイナス成長を見込んでいる。

 このため新薬企業としては、日本で新薬を上市しても開発経費を回収できる見込みが立たない。このため日本での新薬の上市をためらう。実際、日本では内資系の新薬メーカーですら日本市場で最初に上市するのを敬遠するほどだ。このため新薬の65%が米国、欧州で上市したあと、ようやく3番目に日本で上市される事態になっている(図表2)。このため医薬品が国内で上市するまでに時間がかかり新たなドラッグ・ラグを生んでいる。さらに問題は日本では全く上市のみ込みも立たない新薬が17%もありドラッグ・ロスの原因ともなっている。

図表2

医薬品の迅速かつ安定的な供給のための流通・薬価制度に関する有識者検討会資料(2022年8月31日)

 このため日本は先進各国では当たり前のように使われている画期的な新薬が手に入らない。2020年、先進諸国で上市されている新薬243品目の7割にあたる176品目が日本では上市されていない。そのトップは抗がん剤だ。特に小児がんに対する抗がん剤は米国で承認されている40品目のうち、日本では60%にあたる24品目が使えないというありさまだ。

 さてなぜ日本の医薬品市場がマイナス市場に転落し、世界の新薬市場から見放されたのだろうか?その原因は前述のように日本が取り続けてきた薬価抑制策にある。有識者会議では日本の薬価政策がもたらした医薬品の市場縮小効果を見ている。2021年と2022年の市場を薬価ベースで見た縮小効果が試算された。2021年の旧薬価ベースでは10.6兆円であった日本の医薬品市場は2022年の新薬価ベースでは6000億円も縮小している。その原因の内訳は、2016年から導入された毎年薬価改定による縮小が4800億円で80%程度、2000年から導入された市場拡大再算定による縮小が1150億円で20%程度だ。このように毎年改定の影響が極めて大きい。

 毎年改定は2016年の4大臣合意による「薬価制度の抜本改革」で導入された。それまで薬価は2年に1回の診療報酬改定に合わせて行われていたが、それを毎年実施することとした。この毎年改定が実施された2017年前後で薬価の下落スピードをみるとそれまで年平均の下落率2.4%が2017年以降は5%と倍速で下落することになった(図表3)。

医薬品の迅速・安定供給実現に向けた総合対策に関する有識者検討会 業界の現状と課題に係る関係団体等ヒアリング 2022年9月22日

 このように毎年薬価改定が日本の医薬品市場の縮小をもたらした元凶だ。来年2025年の薬価改定の議論がすでに始まっている。毎年薬価改定を大幅に見直してはどうか?

 もう一つの薬価市場の縮小要因である2000年から導入された市場拡大再算定について見ていこう。市場拡大再算定は「市場規模が予想に比べて一定以上拡大した医薬品については、市場拡大率に応じて薬価を引き下げる」と言う仕組みだ。たとえば抗がん剤のオブジーボのように市場が急拡大した医薬品の薬価を強制引き下げするという方法だ。これに対してメーカー側からは「市場の拡大は、医療機関や患者ニーズに応えた結果だ。にもかかわらず価格を引き下げるのはイノベーションを阻害する」と言って反対した。しかし政府は「国民皆保険を守るため」と言って押し切った。

 さらに2008年からはこの市場拡大再算定に、「市場拡大再算定対象品と薬理作用が類似している医薬品」も対象に追加した。いわゆる「道連れルール」の導入だ。薬理作用が似ているということで市場拡大再算定の網にかけるという連座制とも言える苛烈なルールだ。これに対してメーカー側からは「他社製品の市場拡大によって自社製品の薬価が引き下げられることで、研究開発の投資予測が立たない」と言って大反発した。

 その他にも新薬メーカーから評判の悪い薬価算定方式に新薬の算定における原価計算方式がある。新薬の薬価算定には類似薬効比較方式と原価計算方式の2つの方式がある。類似薬効比較方式は、類似薬のある新薬の場合に実施される。「同じような薬効の薬は同じ値段で」と言う考え方から行われている。一方、新薬で類似薬がない場合には原価計算方式が用いられる。原価計算方式では、新薬の原材料費、労務費、製造経費から製造原価を算定する。これに販管費、営業利益、流通経費、消費税を上乗せして原価を計算する。しかし最近の新薬はベンチャーによって開発され、それが製薬企業にライセンスアウトして市場にでる。また新薬の開発や製造も他の企業に受託して生産する場合も多い。このため多くの企業に医薬品の原価がまたがっているので、そう簡単に原価を計算することができない。それに企業間の契約で原価が開示できない場合もある。ところが原価計算方式では、こうした原価の開示率も評価の対象となっている。たとえば2022年から開示率が50%未満であれば加算計数がゼロという制度が始まった。このゼロ加算のため原価計算方式を取る日本で上市する新薬メーカーが減っている。

 類似薬効比較方式、原価計算方式で算定された新薬の割合を2017年で見ると、類似薬効比較方式が75%、原価計算方式が25%である。また原価計算方式で国内で算定された製品の薬価を100とした時、同じ製品の米英仏独の収載時薬価を比べると各国では150前後で我が国よりも高い薬価がついている。ちなみに原価計算方式を採用している国は日本しかない。そもそも原価計算でイノベーションを評価することはできない。そろそろ20世紀の化学合成で作られる低分子薬の時代の原価計算方式は廃止あるいは、イノベーション評価を行う第三の評価方式に変えるべきだ。

 さて新薬は承認され保険収載され市場に出てからも日本では過酷な運命が待っている。先進各国では新薬はその特許期間中は承認時の薬価が維持されるのがグローバルスタンダードだ。日本でもこのルールに沿って2010年に新薬創出等加算が導入された。革新的な新薬の創出を促すため、特許期間中は市場実勢価格に基づく薬価引き下げを猶予するという制度だ。この制度導入時には新薬メーカーももろ手を挙げて賛成した。ところが、この制度も2016年の薬価の抜本改革を経て、要件が厳格化され、適応となる医薬品の品目は減り、導入当時よりその薬価維持効果が失われて行った。このため日本における特許期間中の薬価維持率はどんどん下がっていった。米国では特許期間中の薬価維持率は100%、英国75%、ドイツ67%であるのに対して、日本では17%程度と低い。このように日本は新薬の薬価維持率が最低の国となっている。このように日本では新薬の薬価評価レベルが国際的に見ても低い国であるという認識が定着している。

 かくして日本の医薬品市場は世界から見放され、国民は新薬の恩恵から遠ざかることになった。このまま放置すれば10年後に日本市場で新薬が手に入らなくなり、そして新薬を開発製造するメーカーも日本から消えていくだろう。

 後発医薬品も今や手に入らない。事の発端は2021年の小林化工や日医工などの国内の後発医薬品企業の品質不祥事だ。それを契機に後発医薬品企業の品質チェックが行われ、不正が21社で次々と見つかり製品回収や出荷調整に追われる事態となっている。2022年8月には後発医薬品を中心として、およそ4000品目の医薬品が手に入りづらくなった。最近では外来で薬を処方しても調剤薬局から「その薬ありません」と言われるのが日常風景になってきた。

 その背景には国の後発医薬品使用の急拡大政策と薬価抑制策がある。後発医薬品使用の数量目標の導入や診療報酬上のインセンテイブの導入により、2005年以降、後発医薬品の市場は急拡大して、2020年には数量シェアで特許切れの医薬品の8割までに達した。そしてその医療費削減効果は2021年には1兆9000億円となった。こうした後発医薬品市場の急拡大と後発品の薬価下落で、後発医薬品企業の品質体制がおろそかになった。この経緯を見ていこう。

 後発医薬品の普及において2015年、2016年が大きな分岐点だった。2015年5月、厚生労働省の当時の塩崎恭久大臣は、政府の経済財政諮問会議(議長・安倍晋三首相)で、「2017年の年央に70%、2018年から2020年度末までのなるべく早い時期にジェネリック医薬品の数量シェア目標を80%以上」として、初めて「80%目標」という高い後発医薬品数量目標を提示した。

この背景には一つは2014年診療報酬改定で後発医薬品の普及が予想以上に進んだことが上げられる。2014年の改定をはさんで後発医薬品の普及率が2013年9月46.9%から一挙に2015年9月には56.2%へと、9.3ポイントも伸びて、2020年に80%も夢ではないという議論が活気づくことになった。

 2015年5月21日に経済財政諮問会議歳出改革ワーキンググループが開催された。同ワーキンググループには参考人として日本医師会、日本ジェネリック製薬協会、そして著者が日本ジェネリック医薬品学会の代表理事として出席し、ヒアリングを受けた。ワーキンググループでは、後発医薬品の80%目標の達成年が課題となった。後発品の専業メーカーの業界団体である日本ジェネリック製薬協会は「2020年に80%と言う目標数値は実現が困難」と述べた。理由は以下である。「80%目標は業界としてはありがたいが、生産が間に合わない。まっさらな土地に工場を建てて生産ができるようになるまで5年間はかかる」。つまり今から工場を作って増産しても2020年には間に合わない、このため「業界としては2023年に80%にしてほしい」という要望だ。厚労省も2023年80%目標に同調する。

 一方、財務省は2018年までに80%目標を主張した。こうして2018年と2023年の綱引きとなる。著者は当時、日本ジェネリック医薬品学会として主張していた「2020年までに80%目標」を提示した。結局、80%目標の達成年度は、「2018年から2020年度末までのなるべく早い時期」となった。このように2015年に立てられた後発医薬品の数量目標値が、その後の診療報酬改定で医療機関や薬局への後発医薬品使用へのインセンテイブの増大につながり、急速な後発医薬品市場拡大を招く。図表4をみると、2015年を境として、それまでの2年平均の伸び率5.3%が11%へと倍増していることが分る。

図表4

医薬品の迅速・安定供給実現に向けた総合対策に関する有識者検討会(2023 年 1月26 日)

 次に2016年問題を見ていこう。2016年問題は前述した4大臣合意による薬価制度の抜本改革による毎年薬価改定である。それまで2年1回だった薬価改定を毎年行うことを決めた。この毎年薬価改定のため薬価が大幅に下落する(図表3)。後発品について言えば、2015年に後発医薬品市場拡大のアクセルを踏み込んだ翌年の2016年に、薬価の急ブレーキをかけたのだ。日医工が出庫前の品質チェックで、不適合品を再粉砕して合格させるなどの不正に手を染めるようになるのもこのころからだ。市場の急拡大と薬価の急落がほぼ同時に起きたことが今日の後発品メーカーの品質不祥事を招いた。

 さて後発品の薬価について見ていこう。まず後発品の新規保険収載時の薬価は当初は先発品の7割と言う高い薬価が付いた。このため後発品の新規収載品の安売り競争が一部の後発品メーカーの間で始まる。後発品はアムロジピンのように1成分に20社以上の企業が群がって販売をするような商品だ。このため後発品企業は上市後速やかに市場を占有するため価格勝負に出る。後発品の安売り競争は熾烈を極めた。著者にも以下のような経験がある。2008年ごろ大学病院に勤務していたとき、大学病院が疾病別定額支払制度(DPC/PDPS)の導入に伴い、薬価の安い注射薬の後発品へのシフトを検討していたころのことだ。先発のアシクロビル注射薬を後発医薬品の置き換えを検討していた。すると先発メーカーのMRがやってきて、「後発品の採用を半年遅らせていただければわが社の1A5000円のアシクロビルを半額の2500円にします」という。その直後に後発品メーカーがやってきて「アシクロビルの後発品1A、750円を500円に値引きします」という。「こんなに安い後発品をさらに値引きするんだ」とびっくりしたことを覚えている。さらに2014年ごろDPCに後発医薬品係数が導入された。これにより後発品の数量ベースに診療報酬インセンテイブが付いた。このため内服薬の後発品置き換えが一斉に始まった。その当時、ある後発品メーカーが「新規収載の後発品でしたら9割値引きも可能です」という。「9割値引きしてもまだ利益が出るんだ」と驚いた。しかしこんなことをしていたら薬価調査で実勢価がどんどん下がって、結局「自分の首を絞めることになるのでは?」とも思った。

 こうした一部の後発品メーカーの安売り競争と共に、病院や診療所、薬局などの購入側が薬価差益を求めて苛烈な値引き交渉を行うことも後発品薬価下落の一因だ。たとえば全国に展開する病院グループや大規模薬局チェーングループがバイイングパワーを背景とした値引き交渉を行う、また共同購買組織や価格交渉代行業者による値引き交渉により後発医薬品の薬価が下がる。また我が国の前近代的な流通商慣行もそのあと押しをする。いまどき一般用医薬品では単品単価取引が常識だが、なぜか医療用医薬品では6割以上が総価取引で行われている。総価取引では製品特性や流通コストに無関係に「一山いくら」で値引き交渉が実施される。こうした総価取引では後発医薬品の値引き率が高い。実際に2021年の薬価と購入価の間の乖離率を新薬と後発品で比べたところ、新薬創出等加算品100とすると後発品の乖離率は310とおよそ3倍以上だった。理由は新薬の場合、値下げ幅が小さいのに対して、後発品は価格競争が激しくまた総価取引の対象となるため乖離率が拡大するからだ。

 こうしてジェネリック医薬品企業では年々赤字品目が増えていく。ジェネリック製薬協会のある会員企業では2015年の赤字品目約120品目が2021年には220品目にまで増えている。赤字品目でも5年間は作り続けなければならないため、多数の赤字品目を抱えこむことになる。作れば作るほど赤字になるという蟻地獄に陥ることになる。

 さて以上のようにして日本から薬の光が消えかかろうとしている。この薬の光を消さぬための処方せんはあるのか?拙著「日本から薬が消える日」では、この処方せんについても提案している。まず新薬についてはこれから市場成長が期待される再生医療等製品について紹介している。日本はバイオ医薬品やバイオシミラーの波には乗り遅れたが、次なる再生医療等製品については有利な立ち位置にある。しかし、この領域でもすでに欧米先進国の追い上げが激しい。そして再生医療等製品などの画期的な医薬品が開発されても、そうしたイノベーションに対する薬価算定方式が、現状の旧態依然とした方式のままである。このため再生医療等製品のイノベーションを適正に評価するここともできず、またその薬価維持を図ることもできない。このため現状の原価計算方式や類似薬効比較方式に変わる第三のイノベーション評価方法について提案した。

 また後発医薬品もこのままでは消え去ろうとしている。次々発覚する後発医薬品企業不祥事と供給不安の解決の糸口はあるのか?この解決の糸口は、有識者会議の後発医薬品に関する後継会議体である「後発医薬品の安定供給等の実現に向けた産業構造の在り方に関する検討会」(座長筆者、以下産業構造検討会)が本年6月にまとめた報告書の中にある。産業構造検討会の報告書では、まずは後発医薬品企業の品質総点検をこの4月から10月の間にかけて行い、自主点検とその後の無通告立ち入りを行って企業の品質不祥事の根を断つとしている。さらに安定的に供給できる体制を企業指標で評価し、ポイント算定して「一定水準を超えて取り組みを行っていると評価できる企業区分(A区分)」、「一般的な取り組み状況にある企業区分(B区分)、一定水準を下回る取り組みを行っていると評価される企業の区分(C区分)」とした。その結果、A区分は41社、B区分38社、C区分111社となった。そしてこれを薬価に反映させることになった。

 また産業構造検討会の報告書では後発品の産業構造の再編についても議論を行った。その一つが後発医薬品のコンソーシアムの形成である。コンソーシアムは同じ目的を持った企業が協働を行う。後発医薬品企業コンソーシアムの目的には多すぎる品目を統合する、品質保証管理体制を共同化する、非常時の予備生産能力を確保するなどの目的が挙げられる。こうしたコンソーシアムの形成には行政との連携が必要だ。特に独禁法との関連に配慮が必要だ。またその資金もかなり必要だ。

 さて以上、拙著「日本から薬が消える日」を紹介してきた。あと10年先の2035年に2024年を振り返ったとき、誰もが2024年が日本における医薬品の分岐点であったことを知るだろう。ただそれが「薬が消え去る分岐点であったのか?」あるいは「薬がその光を取り戻す分岐点であったのか?」は、今はまだ誰にも分からない。薬がその光を取り戻す年であることを祈るばかりだ。

参考文献 武藤正樹「日本から薬が消える日」(ぱる出版2024年6月)

 

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