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善きサマリア人法


 朝の礼拝でよく引用される聖 書の逸話に「善きサマリア人」がある。善きサマリア人とは以下の話だ。ある人がエルサレ ムからエリコに向かう道中で強盗に襲われて身ぐるみはがれ、半死半生となって道端に倒 れていた。そこに三人の人が通りかかる。最初に祭司が通りかかるが、その人を見ると道の 向こう側を通り過ぎて行った。次にレビ人が通りかかるが、彼も道の向こう側を通り過ぎて 行った。しかし三番目に通りかかったサマリア人は、そばに来ると、この半死半生の人 を助けた。傷口の治療をして、ろばに乗せて宿屋まで運び介抱した。そして翌日になると宿 屋の主人に怪我人の世話を頼んでその費用を払った。 

 このように善きサマリア人は聖書で は隣人愛の象徴として語り継がれている。海外では、この善きサマリア人の教えを基に、「困窮した人を見捨てることを罪とする」または「善意で助けた人が責めを負うことを免責する」ことについて定めた法律がある。それが「善きサマリア人法(Good Samaritan Law)である。

 善きサマリア人法を立法化している国としては、フランス、ドイツ、そしていくつかのアメリカの州がある。これらの国で立法化された経緯を見ていこう。

 フランスでは「リオの悲劇」が立法化の契機になった。リオの悲劇は、2000年にフランスの小さな村リオのトンネルで交通事故が発生した際、多くの通行人が被害者を助けるどころか見物するだけだったことが社会的に大問題となった事件だ。この出来事がきっかけで、フランスでは人が危機的な状況にある場合、助けを提供する義務を明確にする「善きサマリア人法」が制定された。この法律は、助けを提供する人を法的に保護し、助けを怠った場合には責任を課すものだ。

 アメリカでは1960年代に発生したいくつかの事件がきっかけとなった。その中でも、「キティー・ジェノヴィーズ事件」は特に有名だ。1964年にニューヨークで起こったこの事件で、女性が襲われ命を落とした際、近隣の人々が助けに出ることがなかったことが社会的に大きな議論を呼んだ。この事件をきっかけに、人々の行動の背後にある心理や、法律の必要性が検討され、後の善きサマリア人法の立法に影響を与えたと言われる。

 カナダでも1998年からいくつかの州で善きサマリア人法が制定される。この中には変わった適応事例がある。薬物でオーバードースを見たとき救急通報をしたものの薬物所持は免責にするという事例もある。たしかに仲間内で薬物摂取を行っていたとき、免責にすれば救急通報率が上がってオーバードースの救命も増えるだろう。

 一方、日本では東日本大震災におけるトリアージ結果を不服とする訴訟が起きた。これは搬送先の病院で亡くなった宮城県石巻市の女性(当時95)の遺族が、病院正面玄関で行われたトリアージに過失があったとして訴えたケースだ。訴状などによると、女性はトリアージで治療不要の「緑(グリーン)」と判定された。しかし避難所への搬送まで院内の待機エリアで待つ間に脱水症で死亡した。

 これを契機にトリアージや応急救護における法的な課題が再度議論されるようになった。人助けが文化として根付いている日本でも、災害時のトリアージや一般人の体外式除細動器(AED)の使用、航空機の中での緊急の医療行為などの場面で、躊躇することがあってはならない。こうした中、助けようとする人を守る法律がぜひ必要だ。

 東日本大震災のトリアージ訴訟を契機に善きサマリア人法の立法化をぜひ検討すべきだ。

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