
「神は細部に宿る」はドイツのモダニズム建築家ミース・ファン・デル・ローエの言葉だ。一方、悪魔も細部に宿るという。細部に落とし穴が潜むという意味だ。なるほど細部にこだわる建築家らしい言葉だ。
一方、聖書にも日常の中の些細なことに神が宿るという教えは繰り返しでてくる。日常の行為の中に神の臨在があるという思想だ。
「あなたがたがこれらの最も小さい者の一人にしたことは、わたしにしたのである」 (マタイ25:40)がこの教えを表す代表例だ。 日常の小さな行為が神への行為とされる。
また「野の花を見よ」(マタイ6:28) にもこの教えが宿る。 何気ない自然の細部に神の配慮が宿る。「パンを裂くときにイエスだと分かった」(ルカ24:30–31)、これも 食卓という日常の所作の中で神の恩寵が明らかになる一瞬だ。
つまり聖書は、 「神は非日常ではなく、日常の中に現れる」という思想を強く持っている。いつ起きるかわからない奇跡ではなく、普段の日常にこそ神の奇跡が宿るのだ。何気ない日常のワザにこそ奇跡が宿る。
医療は外科手術のような大きな治療行為だけで成り立っているわけではない。 むしろ、患者が最も深く癒やされるのは、医療者のなにげない所作に触れたときだ。自分が患者になってみればよく分かる。採血前にアルコール綿で皮膚をぬぐうとき「少し冷たいですよ」と声をかける、ベッド柵を静かに上げる、体位変換のとき、痛みを予測して手を添える、患者さんの目線の高さに合わせて話しかけるなど。
これらは医学的手技ではない。 しかし患者にとっては、「自分が尊重されている」、「大切にされている」と感じることができる。 だからこそ、神の御業という言葉がしっくりくる。
小さな日常の所作の中にこそ神は宿る。一方、小さな所作のなかに悪魔も宿る。
