
著者が勤務する衣笠病院が創立したのは1947年8月1日だ。戦後の荒廃した横須賀において、キリスト教の精神に基づいた医療奉仕を行うため、衣笠病院は旧海軍共済病院衣笠分院の移管を受け、「日本基督教団衣笠病院」として発足した。開設当初は、医師4名、看護師14名を含む総勢35名の職員と、80床の病床からスタートした。
この病院の開設後まもない1949年1月に日本キリスト者医科連盟(JCMA)が衣笠病院のチャペルで戦後初の集会をもつ。同連盟は戦前の1938年、中国での難民医療活動(中国難民救済施療班)を源流として始まった。しかし終戦により一時活動停止を余儀なくされた。
その後、戦後まもない1949年1月に横須賀の衣笠病院に、全国からキリスト者の医師、看護師、医学生らが再び結集し、「福音と医療」をテーマとした集会をもつ。これが現在のJCMAが戦後正式に再発足し、新たな歩みをスタートした日となった。
その集会に集まったのは全国からキリスト者の医師、看護師、医学生ら30名ほどだ。まだ汽車の切符を手に入れるのもままならない頃ことだ。集会を呼び掛けたのは、連盟の父とも呼ばれていた志村卯三郎(しむらうざぶろう)牧師だ。集会に集まった医師には日野原重明氏もいた。まだ37歳の聖路加病院の内科医長だ。衣笠病院からは産婦人科医の田村久弥(たむら ひさや)氏が参加した。田村医師はインパール作戦にも参加した元軍医で、戦後、創設された衣笠病院の勤務医だった。田村医師はその後インドネシアでの国際協力でも活躍する。また当時の衣笠病院の初代病院長の黒沢良臣(くろさわ よしおみ)氏も参加した。黒沢医師は翌年、国立国府台病院の病院長として転出する。
また衣笠病院の初代チャプレンの小川潔牧師、また当時の横須賀基督教社会館の館長であり、病院設立の立役者の一人となったのが小副川敏(おぞえがわさとし)牧師も参加した。小副川牧師が衣笠病院のチャプレン業務の立ち上げや、毎朝の職員礼拝を初めて行った。
この集会で日本キリスト者医科同連盟が再結成されることになった。再結成にあたり、「設立趣意書」が読み上げられた。この趣意書の冒頭に掲げられ聖句が以下である。集会に集まった人たちの間で共有された。「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい」(フィリピの信徒への手紙 2章13~14節 新363ページ)。
