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この子らを世の光に


 日本におけるノーマライゼーションの発祥は、近江学園(おうみがくえん)という知的障害児の施設だ。1946年に近江学園を創設した糸賀一雄(いとがかずお)(写真)の「この子らを世の光に」という言葉がその始まりだ。糸賀は敬虔なクリスチャンでもあった。

 戦後間もない1946年、京都大学の哲学科を出て滋賀県の県職員を務めていた糸賀一雄は、大津市で、知的障害児や戦災孤児のための施設である近江学園を創設する。近江学園は障害児らが共に生活し教育や療養、医療を受ける場として全国に先駆けた取り組みを行った。そして近江学園は1948年に県立施設となり、1971年に湖南市に移転した。今でも近江学園では17歳までの男女が対象で現在約90人が入所し、職業訓練や創作活動にも励んでいる。

 糸賀一雄は近江学園のあと、落穂寮、信楽寮、あざみ寮、日向弘済学園などの障害児施設を相次いで設立した。糸賀はこれらの施設について、障害者を隔離収容するのではなく、地域との橋渡し機能を持つという意味で「コロニー」と呼んだ。

そして、1963年重症心身障害児施設「びわこ学園」を創設し、東京の島田療育園とならんで、重症心身障害児施設においても先駆けとなった。重症心身障害児とは、重度の精神発達遅滞および重度の肢体不自由が重複している児童のことである。

 しかし糸賀一雄は1968年9月、滋賀県大津市での県新入職員のための講演中に、持病の心臓発作により倒れ、翌日死去した。享年54歳、障害者福祉にささげた生涯だった。

 以下、知的障害児に対する糸賀一雄が残した言葉を引用しよう。「この子らはどんなに重い障害を持っていても、だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものなのである。人間と生まれて、その人なりの人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちのねがいは、重症の障害を持った子供達も立派な生産者であるということを、認めあえる社会をつくろうということである。『この子らに世の光を』あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、この子ら自らが輝く存在そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。『この子らを世の光に』である」。

 糸賀一雄の言葉をもう少し紹介しておこう。「精神薄弱児の生まれてきた使命があるとすれば、それは『世の光』となることである。親も社会も気づかず、本人も気づいていないこの宝を、本人の中に発掘して、それをダイヤモンドのように磨きをかける役割が必要である。
 そのことの意義に気づいてきたら、親も救われる。社会も浄化される。「本人も生き甲斐を感ずるようになる。」さらに糸賀一雄は語る。
「謙虚な心情に支えられた精神薄弱な人々の歩みは、どんなに遅々としていても、その存在そのものから世の中を明るくする光がでるのである。単純に私たちはそう考える。精神薄弱な人々が放つ光は、まだ世を照らしていない。しかし私たちは、この人たちの放つ光を光としてうけとめる人々の数を、この世に増やしてきた。異質の光をしっかりと見とめる人びとが、次第に多くなりつつある。人間の本当の平等と自由は、この光を光としてお互いに認め合うところにはじめて成り立つということにも、少しずつ気づきはじめてきた。」(『糸賀一雄著作集』2より)

 糸賀一雄氏の「この子らを世の光に」が、日本におけるノーマライゼーションの最初の言葉となった。このため糸賀一雄は、障害者福祉を切り開いた日本の「社会福祉の父」とも呼ばれている。

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