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在宅医療のとき


著者の在宅医療の初体験はブルックリンだ。1980年代末、旧厚生省からブルックリンにあるニューヨーク州立大学の家庭医療学科(ファミリー・プラクティス)に留学したときのことだ。留学先の大学はブルックリンの黒人街やユダヤ人街の真ん中にある。ここで初めての在宅医療を体験した。ブルックリンのユダヤ人の高齢女性がバスルームで転倒して大腿骨頸部骨折を起こした。この女性のアパートをファミリー・プラクテイスの指導医やレジデントと一緒に訪問した。まず最初に見たのが転倒したバスルームだ。一緒に同行した指導医が、「見ろ、この暗いバスルームを!あのくらい電球を明るい電球に交換するだけで、1万ドルする人工骨頭置換術を節約できる。50セントの電球と人工骨頭のどちらが安い?」。

こうして家庭医療や在宅医療を学んで、「日本に帰ったら在宅医療をやりたい!」と意気込んで帰国した。しかし思惑は全くはずれる。当時、日本医師会は厚労省の主導する「家庭医構想」に猛反対をしていた。このため帰国後、とても「米国で家庭医療を学んできました」などとは口に出しても言えず、留学経験も全く活かされなかった。

 しかし2020年より横須賀市にある日本医療伝道会衣笠病院に赴任して以来、週1回ではあるが、在宅医療を再開した。在宅医療は入院医療や外来医療とは全く異なる。一言でいえばこれまで慣れ親しんできた病院や外来の医療と比べれば、まったくの「アウェイの医療」だ。在宅医療を再開した最初のころは戸惑いとドキドキの連続だった。

 在宅では患者さんや家族が中心だ。そして医療は生活のごく一部だ。ブルックリンに留学していたときメディカル・ソーシャルワーカーのルースがいつも言っていた言葉を思い出した。「純粋に医学的な問題なんでありやしない!」。あるのは医療、介護の複合問題、地域のなかでの複雑に入り組んだ社会的問題ばかりである。

 でも在宅医療のいいところにも改めて目覚めた。入院や外来では見ることのできない素顔の患者さんや家族と出会える。また生活の場でじっくり患者さんや家族のお話を聞く時間もある。また病院の外に出て四季の季節のうつろいも肌で感じることができる。ブルックリンの留学から35年を経て横須賀で再び出会った在宅医療である。

 衣笠病院では毎朝の礼拝がある。礼拝の中で出会った次の聖句が好きだ。「天(あめ)が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある(旧約聖書・伝道の書、3章1節)」。まさに「在宅医療」にも時があったのである。

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