
昨日の衣笠病院のチャペルの礼拝の聖句は「マルコによる福音書」6章1節~6節の「ナザレでのイエスの拒絶」についての場面だ。イエスは幼少期から青年期にかけてナザレで過ごした。ナザレの人々はイエスとその家族をのことをよく知っていた。
このためナザレの人々が、イエスをただの「大工の息子」と見なしてしまい、その教えを信じられなかったという場面だ。地元では預言者が歓迎されないというテーマが心に響く。こうしたエピソードを聞くと、イエスの人間性が感じられて、ますます実在した人物という気がする。
この聖句が「預言者は自分の郷里では歓迎されない」ということわざにもなっている。この言葉には、優れた人物や新しい考えが、身近な人々には理解されにくいという意味だ。
これは医者が開業するときは、「生まれ故郷ではなく別の見知らぬ土地の方が良い」という事にも通じている。その理由は、生まれ故郷では人間関係や家族との繋がりが強い場合、患者と医者との間に「距離感」が生じにくい。信頼は大切だが、医者としての客観性が求められる場面では、こうした近しい関係が逆にじゃまになることもある。
これは「医者は家族を診てはいけない」という言葉にも通じる。身近な家族は医者自身も家族も、医療に本来必要な冷静さや客観性を保てなくなるからだ。
