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鎌状赤血球貧血


 鎌状赤血球貧血は、日本ではあまりおなじみのない疾患だ。この疾患は著者が1980年代の後半、ブルックリンの救急外来(ER)にいたときよくお目にかかった。若い黒人の男性が体中の激痛を訴えて救急外来でのた打ち回っている。一体何事かと思っていると、診察した救急外来のアテンデイングドクター(指導医)はいとも簡単に「鎮痛剤と点滴、酸素投与、シックルセル(鎌状赤血球)だ」と言って、入院の指示をだす。

 指導医は「明日になればよくなるさ」とこともなげだ。鎌状赤血球貧血の患者は軽い貧血と赤血球の破壊にともなう黄疸も見られる。余談だが、黒人の貧血や黄疸の診断はちょっとなれないとムツカシイ。漆黒の皮膚の貧血や黄疸なんって見ただけじゃわからない。ところが黒人を見慣れた米国の医者たちはわかるという。「ブルーイッシュやイエローイッシュな黒色」だという。もっとも、彼らにしてみれば黄色人種のわれわれ日本人の黄疸なんてとても診断がつかないというかもしれない。やっぱりこれも馴れだろう。

 さて、鎌状赤血球貧血の疼痛発作は、赤血球が鎌状(三日月状)に変形して、血管内に数珠繋ぎになって血管を閉塞することで起きる(図)。問題は閉塞を起こす場所だ。たいていは長幹骨のある四肢の疼痛でくるが、ときどき陰茎海綿体静脈に閉塞をおこす。そうするとやっかいだ。ビール瓶大の持続性勃起症になる。

 さて、鎌状赤血球貧血の病態も今ではよく知られている。鎌状赤血球貧血の患者のヘモグロビンを電気泳動にかけると、正常のヘモグロビンとは異なる泳動パターンを示す。この泳動パターンの違いの原因も分かっている。鎌状赤血球貧血患者のヘモグロビンは正常のヘモグロビンとたった1個のアミノ酸配列の違いがある。これが電気泳動のパターンの違いだ。

 鎌状赤血球のヘモグロビンのアミノ酸配列の違いはたった1箇所、グルタミン酸がバリンに置き換わっただけだ。親水性のアミノ酸であるグルタミン酸が疎水性のバリンに置き変わったことで泳動パターンが変ったのだ。

 さらにこのアミノ酸配列を変えた原因遺伝子もわかっている。11番目の染色体上にあるヘモグロビンの遺伝子の塩基配列の一箇所がアデニンからウリジンに置き換わったことが原因だ。このように原因遺伝子まで特定された鎌状赤血球性貧血であるが、その遺伝子治療はなかなか成功しなかった。

 しかし2021年、アラバマ大学のチームが鎌状赤血球をつくる患者の造血幹細胞の遺伝子を正常の遺伝子に組み替えてその治療に成功する。その時、造血幹細胞に遺伝子を運んだベクターに用いたのは病原性を取り除いたエイズウイルスだったという。

 この治療が普及すれば、夜間の救急外来に運ばれてくる黒人も減るのだろう。

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