
ときどき新潟大学の大学院博士課程にいたころのことを懐かしく思い出す。もう半世紀も前のことだ。博士課程の恩師の藤田恒夫先生の言葉を今でも覚えている。「奇妙ないきもほど新しい発見が隠されている」と言う。この教えは藤田先生が1960年代に留学していたドイツのキール大学の解剖学者バルクマン先生からの教えだという。
バルクマン先生は下垂体や視床下部の神経内分泌組織を研究していた。その当時、バルクマン先生が興味を持っていたのが北海の深海からとれるギンザメの一種、「キメラ・モンストローザ(Chimaera monstrosa)」だという。いかにも奇怪な生き物にふさわしい学名だ。キメラ・モンストローザは長い尾、サメに近い軟骨魚類 という特徴を持った幽霊のような深海魚で、英語では「Ghost shark」(幽霊ザメ)とも呼ばれている。
藤田先生は、ドイツ留学のあと帰国して、新潟大学で神経内分泌系の微細構造を研究していた。消化管内分泌細胞の電子顕微鏡による微細構造の研究だ。消化管内分泌細胞とは、神経細胞と内分泌細胞の中間に位置していて、消化管内腔に張り出した微絨毛で消化管の内容物をセンシングし、それに応じてその基底部から血中に消化管ホルモンのシグナルを放出する。
大学院生のとき著者もキールを訪れ、バルクマン先生にお会いする機会があった。バルクマン先生はいかにも好々爺といった先生で、この方が「キメラ・モンストローザ」の先生かと思った。そこでその奇魚の名前を聞いてみた。するといまでもキメラ・モンストローザの言い伝えは研究室に生きているとおっしゃっていた。
キール大学を訪問してからの帰り道、キール軍港を見学した。冬の小雪交じりの北海に面した軍港には潜水艦が係留されていた。キメラ・モンストローザとキール軍港の潜水艦が脳裏の片隅に焼き付いていいる。
