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テムズ河畔のIR


 2007年10月、ロンドンに日本のジェネリック医薬品専業企業4社の社長さんたちと一緒に訪れた。テムズ河畔の高級ホテルで開催されたヨーロッパの機関投資家向けのIR(Investor Relations)に出席するためだ。企画したのは日本の証券会社で、私の役割は日本のジェネリック医薬品の制度環境の講演することだった。

 ロンドンのホテルの会場にはヨーロッパと米国東海岸から50人以上の機関投資家のアナリストたちが、所狭しと詰めかけていた。おどろいたのはアナリスト諸氏がよく勉強していることだった。質問では2008年からスタートするDPC病院の増加予測や、処方せん見直しによるジェネリック医薬品の需要の伸び予測など、微に入り細にわたりの質問が相次いだ。私も答えられないような細かな質問に面食らう場面もあった。

 ともあれIRは成功して、そのあと開かれた懇親会で、アナリストのひとりに聞いてみた。「どうして日本のジェネリック市場に興味があるのか?たかだか5000億円ぐらいの小さな市場なのに。」 答えは簡単だった「市場が伸びることが、はっきりしているからだ。われわれは5年で倍になる市場に着目している。市場の規模は関係ない。」

 その後、年が明けて2008年になると、海外のジェネリックメーカーから、日本ジェネリック医薬品学会(代表理事著者)への来訪が相次いだ。まず最初にやってきたのは世界最大のジェネリックメーカーのイスラエルのテバ社だった。2008年1月ごろにやってきて、日本市場に本格参入を考えているという。実はこれまでもテバ社は日本への参入を試みたがいずれも立ち消えになったようだった。しかし今回は自信があるという。海外担当の部長が言うには「テバは世界各地の市場に入り込んでいる。つい最近はロシア市場に乗り込んだばかりだ。いまや処方量ではファイザーよりも多いくらいだ。テバの世界各地での経験を日本でも生かしたい」。

 その後、4月にはアイスランドのアクタビス社の方が来られた。当時はまだアイスランドの金融破たんの前だったので、まだアクタビス社の担当者も元気いっぱいだった。人口30万人のアイスランドで、世界のジェネリックメーカーを買収して、5年で売上2500億円企業に成長したという。担当者は「われわれアイスランド人は、バイキングの子孫だ。世界中どこにでも出ていく」と意気軒高だった。

 その後、2009年には米国のジェネリック企業の老舗のマイラン社もやってきて、虎ノ門の米国大使館でジェネリック医薬品のシンポジウムを開催、我々も参加した。米国大使館のシンポジウムには日本からも国会議員も列席して大賑わいだった。

 今から思えば、2007年から2009年ごろが、日本でジェネリックが最も上げ潮気分で輝いていた時期だったのだろう。

 その後、テムズ河畔のホテルのIRに参加した4社の日本企業の社長うち日医工の社長は2021年の品質不祥事ですでに姿はない。テバ社やアクタビス、マイランも日本から撤退した。

 ジェネリック医薬品企業の栄枯盛衰の歴史を早送りビデオで見ているようなあっという間の15年間だった。

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