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ブルックリンのER


 1980年代の後半、旧厚生省の留学で米国に滞在したことがある。留学先は、米国ニューヨークのブルックリンのダウンステートメデイカルセンターの家庭医療学科(ファミリープラクテイス)だ。ファミリープラクテイスでは午前中は外来センターで患者を診て、午後からは大学病院の関連施設で様々な診療科をローテーションした。救急室(ER)のローテーションもあった。ERは通りの向こうにある州立病院のキングスカウンテイ病院にある。12時間シフトのERで、さまざまな患者さんを診た。

 このERはブルックリンの黒人街のど真ん中にある。もっぱら黒人やヒスパニックの患者さんが多い。中には日本では見たことにない患者さんにも出会う。一つは鎌状赤血球貧血だ。

 赤血球が鎌状(三日月状)に変形している若い黒人が、時々骨の痛みを訴えてERにやってくる。鎌状赤血球が骨髄の血管に引っかかって梗塞を起こし、激しい骨の痛みを訴えてERにやってくる。骨の痛みでのたうちまわる黒人をみたら「シックルセル(鎌状赤血球)」と言うのが定番だった。治療は鎮痛剤と点滴と酸素投与で一晩でよくなって帰っていく。

 それからニューヨークにはハイチ移民が多い。ハイチは当時は結核がまん延していた。ハイチ出身で肝機能異常だとまず肝臓の結核を真っ先に疑ったりする。日本では考えられないことだ。また当時のニューヨークではヘロイン・コカインの静注薬物依存症の患者が多かった。みんな使い古しのインスリン用注射器で回し打ちをする。このためブルックリンの黒人で心雑音を聞いたら、ブドウ球菌性の心内膜炎とすぐ診断ができた。

 それと当時のニューヨークではHIVが大流行していた。このためHIVによる日和見感染でありとあらゆる感染症にお目にかかった。静注麻薬常習者で息切れで来たらカリーニ肺炎、けいれん発作できて脳CTでリング状の病変を見たらトキソプラスマ脳症、脊髄液の墨汁染色で嚢胞をみたらエキノコッカス症など。HIVによって免疫力の低下した患者はありとあらゆる感染症の培地のようだった。2か月のローテーション期間中に日本でお目にかかる一生分の感染症を診ることができた。

 さて厚労省の留学の意図は米国の家庭医の研修制度を通じて日本にも何でも診ることのできる家庭医を定着させることだった。ところが留学から帰国したら、当時の日本医師会が厚生省のこうした家庭医制度に大反対していて大騒ぎだった。日本医師会としては、官僚主導の家庭医制度など容認しがたいと思ったのだろう。このため留学から帰国して「米国で家庭医の勉強をしてきました」などとは口にも出せず。留学経験もまるで役に立たなかった。

 しかし時がたち、日本でも総合診療医が専門医として認められるようになり、また横須賀で初診外来で様々な患者さんを診るようになって、ようやく米国での留学経験を口にできるようになってきた。

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