
1989年ごろ、横須賀の久里浜にある国立療養所久里浜病院(現在は久里浜医療センター)に何かの記念式で伺ったことがある。そのとき来賓の一人の堀内秀(しげる)先生にお会いした。久里浜療養所にアルコール中毒の専門病棟を始めて立ち上げた先生だ。堀内先生はアルコール依存症の治療法の最前線を学ぶため1963年にWHO留学生としてフランスに留学したという。
堀内先生は物腰が柔らかな小柄の先生だ。記念式で席が隣だったので、いろいろお話を伺った。
堀内先生は久里浜病院に赴任することになったきっかけを話してくれた。35歳のとき教授から久里浜に行けと言われた。それまで精神科医として数人のアルコール依存症患者を治療したが一人も治った試しがない。断ろうとしたが、教授が「そもそも、あれは治らん病気だ。治るとか治らないとか気にするな」。それで断りきれなくて引き受けてしまったという。
アルコール依存症は進行するとアルコールを中断した際、発熱、震顫(しんせん)から妄想まで様々な離脱症状が現れる。この症状が辛いため、逃れようとまた飲酒を繰り返してしまう。アルコール依存症の本質的な問題は、身体症状ではなく、たとえ断酒させても多くの患者が再び飲酒してしまうことだ。つまり、いかに再飲酒を防ぐかが治療の要となる。
堀内先生は久里浜で治療を続けるうち、断酒を継続するためには患者自身の自立や成長が重要であることに気がついた。たとえば、抗酒剤を勧めても「自分だけの力で断酒できる」と拒否していた患者が、薬を飲むと家族が安心することに気づき、家族のために薬を飲むようになる。自己中心的だった人が他人のことを考えられるようになる。また退院後も断酒会に積極的に参加する患者が断酒を継続しやすいこともわかった。
堀内先生からこうしたアルコール依存症の治療の話を聞いて、久里浜病院の患者さんが書いた絵画展を見て久里浜を後にした。
この堀内秀先生が、作家のなだいなださんである。2013年に83歳でお亡くなりになられた。