エッセーの投稿

今はなき病管研


 時々、今はもうなくなってしまった国立医療・病院管理研究所(病管研)のことを思い出す。病管研が新宿戸山の感染研に同居していたころ著者もこの研究所に所属していた(写真)。

 病管研は戦後まもなく連合国最高司令部(GHQ)の勧告によって、1949年新宿の国立東京第一病院(現在の国立国際医療研究センター)の敷地内に作られた。著者は研修でこの病管研の古い木造の講堂で、今は亡き岩崎栄先生の講義を聞いたこともある。

 GHQが病管研を作ったのは、公衆衛生福祉部のサムス大佐の指示による。サムス大佐は「日本の病院は、患者がナベカマを持ち込んで入院するような中世の病院だ」と酷評した。こうした日本の病院のマネジメントの近代化の先駆けとして病管研が作られた。しかしこの研究所も時代の流れの中、2001年には国立公衆衛生院と合併して国立保健医療科学院となり、その50年余りに及ぶ歴史の幕を閉じた。

 著者が病管研にいたのは1994年ごろだ。当時の研究所で著者は新米の医者の部長として研修や研究の毎日を過ごしていた。「アホバカ・オタンコナス!」と口は悪いけれど研究所のドンだった小山秀夫さん、新進気鋭で売り出し中の川渕孝一さん、そして残念なん事に夭折された建築家の外山義さん、同じく建築家の筧淳夫さん、井上由紀子さんたちと一緒に仕事をした。特に建築家のみなさんから病院建築や高齢者施設の話を仕事の合間に聞いていたことが、今に役立っている。また時々現れては「データーベースが重要だ!」と叫んでいた長谷川敏彦さんなど多士済々のみなさんとの交流が今では懐かしい思い出だ。

 それまで国立病院の臨床の医者だった著者が大きく人生を変えることになったのがこの病管研だ。先日この病管研の同窓会も店じまいをしたとの通知が届いた。

 とうとう病管研もセピア色の昭和のかなたに本当に消えてしまった。

エッセーの更新履歴

最新10件