
聖書において「公衆衛生(Public Health)」が登場する箇所がかなりある。
代表例は青銅の蛇だ。この話は「民数記」21章に登場する。イスラエルの民が荒野で神に不平を言ったとき、神は「炎の蛇(毒蛇)」を送って人々をかませた。このときモーセが神の指示で青銅の蛇を作って旗ざおに掲げた。すると、それを見上げた人は蛇にかまれても命を取り留めた。今でいう蛇毒に対する抗毒素療法やワクチン療法のことだ。
また旧約聖書には、感染症に対する隔離や衛生管理の規定が驚くほど詳細に記述されている。とくに注目すべきは「レビ記」と「申命記」だ。レビ記13〜14章には皮膚病(ツァラアト)に関する隔離規定がある。ツァラアトは、しばしば「らい病」と訳されるが、実際には広範な皮膚病を指していたと考えられている。まず病変が現れた人は、祭司によって診断され、症状がはっきりしない場合は7日間の隔離が命じられる。その後、再検査を行い、症状が進行していなければさらに7日間の隔離を延長される。完全に治癒したと判断された場合は、清めの儀式を経て共同体に復帰できる。清めの儀式とは、沐浴や衣服の洗濯などが含まれる。
このプロセス、まるで現代の感染症対策における隔離や観察期間とそっくりだ。ただ診断と隔離を決めていたのが医師ではなく祭司だったという点が異なる。
水の浄化も行われていた。「マラの苦い水が甘くなる」(出エジプト記15:23–25)では、イスラエルの民が荒野で苦い水に出会ったとき、モーセが木を水に投げ入れると水が甘くなり、飲めるようになった。
また聖書には、食事に関する衛生や清浄の規定がしっかりと記されている。特に「レビ記11章」がその代表格だ。レビ記11章には食べてよいもの、いけないものが記されている。
この章では、イスラエルの民が食べてよい動物と、避けるべき動物が細かく分類されている。陸上動物ではひづめが割れていて反芻する動物(牛、羊など)はOK。豚はNG(ひづめは割れているけど反芻しない)。水中の生物ではひれと鱗のある魚はOK、しかしエビ・カニ・貝などはNG、鳥類は猛禽類や死肉を食べる鳥はNG、昆虫は基本NGだけど、イナゴやバッタ、コオロギなど一部はOK。これらの規定にはいくつかの合理的な理由が考えられていたという。たとえば、寄生虫や腐敗のリスクが高い動物を除外する知恵も含まれていた。
排泄物に対する管理も徹底していた。申命記23章には排泄の規定がある。兵士たちに対して、陣営の外に排泄場所を設け、排泄物は土で覆うようにと命じられている(申命記23:12–13)。
以上のように2000年前から公衆衛生が聖書を通じて語り継がれてきた。
この公衆衛生を科学にしたのは英国の外科医ジョン・スノーだ。彼が特に有名なのは、1854年にロンドンで起きたコレラの大流行の際、感染者の分布を地図にプロットして、感染源がブロード・ストリートの井戸水から広がったことを突き止めたことだ。これは、当時主流だった「瘴気説(悪い空気が病気を引き起こす)」に対して、水を媒介とする感染という新しい視点を示した画期的な発見だった。このためジョン・スノーは近代公衆衛生の父と呼ばれている。
彼のこの発見がロンドンの上下水道の改善や、都市の公衆衛生政策にも大きな影響を与えることになる。
