エッセーの投稿

聖書と薬


   薬剤師大憲章を交付する神聖ローマ帝国のフリードリッヒ2世(1240年)

 聖書で薬のことを扱った箇所が何か所か出てくる。以下、代表的な個所を挙げてみよう。

 創世記(50:2-3)ではヨセフが医者に父ヤコブの遺体に薬を塗るよう命じる箇所がある。この薬とは防腐処理として薬を使用した例だ。

 エレミヤ書(46:11)では「多くの薬を用いても、むだだ。あなたは、いやされることはない」と述べている。まるで現在のポリファーマシーに繋がる言葉だ。

 エゼキエル書(47:12)では「その葉は薬となる」と述べていて、神殿から流れる水によって育つ木の葉が薬になるという預言がされている。日本でもカスガマイシンは、1960年代に奈良県の春日大社の土壌から発見された抗菌剤だ。

 ソロモンの歌では没薬(ミルラ)などの香料が頻繁に登場する。没薬は古代では薬や香料として使われていた。没薬はエジプトではミイラづくりにも使われていた。

 黙示録(18:23)では、「お前の魔術によって、あらゆる国民が惑わされた」 この「魔術」と訳されている語は、ギリシャ語でφαρμακεία(pharmakeia)。これは英語の pharmacy(薬局)の語源でもあり、古代では「薬を扱うこと」が魔術や毒と結びつけられることもあった。

 これは、薬を扱う者が「癒し」と「害」の両面を持つ存在として見られていたことを示している。薬にはベネフィットもあればリスクの側面もある。これもまた現代にも通じる言葉だ。

 ところで薬剤師の起源は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が1240年頃に制定した「薬剤師大憲章(5か条の法律)」からだ(図)。それまで医師が薬の処方と調剤の両方をおこなっていた。しかし中世では国王や貴族に使える医師が、毒をもって国王や貴族を暗殺する例が相次いだ。こうした暗殺を防止するため、薬を処方するものと調剤するものを分離したのが、薬剤師大憲章だった。医薬分業の始まりは暗殺の防止にあったのだ。この考えは今でも通じる。医師が誤った処方を行った時に正すのが薬剤師の役割だ。すなわち薬の番人が薬剤師なのだ。

 さて箴言(しんげん、4:20–22)にはこう書かれている。「わが子よ、私のことばをよく聞け。…それを見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする」。ここでは、神の言葉そのものが「薬」として働き、癒しをもたらすとされている。

 これは言葉そのものが、薬であることを意味している。