
レビ記13〜14章では、重い皮膚病を祭司が診断し、「汚れている」と判断された場合、隔離される。衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です」と叫ばなければならない。宿営の外に一人で住まなければならないという。
そして病が癒されたとき、祭司が再び診断して「清い」と認めると、清めの儀式が行われる。清めの儀式は二羽の小鳥を使った儀式で、1羽は流れる水の上で殺され、もう1羽は生きたまま放たれるという。その後、羊や鳩などのいけにえを捧げ、共同体への復帰が認められる。この儀式は、単なる医療的回復ではなく、神との関係と共同体との絆を回復する象徴でもある。
このレビ記に出てくる「重い皮膚病(ヘブライ語で ツァーラアト」は、かつて「らい病」と訳されていたこともある。しかし現代のハンセン病(らい菌による感染症)とは異なると考えられている。
ツァーラアトは、広義の「汚れ」や「異常」を指す言葉で、皮膚だけでなく、衣服や家の壁にも発生する現象として描かれている。これは単一の病気ではなく、祭儀的・霊的な「けがれ」を象徴するもの。だから診断するのは医者ではなく祭司だ。
歴史的には、聖書の「ツァーラアト」がギリシャ語で「レプラ」、ラテン語でも「レプラ」と訳され、それが後に医学用語「レプロシー(ハンセン病)」に転用された。これが誤解の始まりだ。その結果、我々は聖書の重い皮膚病がハンセン病だと思い込んでしまった。私もず~と聖書の重い皮膚病はハンセン病だと思っていた。
聖書の語句を原義にまでさかのぼって意味を正しく伝えないと、後世の人に差別と偏見を植え付けることになる。重たい皮膚病、ツァーラアトはハンセン病ではない。ハンセン病では顔や手足に変形をもたらすことがある。しかしレビ記にはそうした記述はない。
さて翻って現代のハンセン病だが、もともと熱帯性の病気で、いまでもインドネシアの地方にいくと見かける。一度、JICAの専門家派遣でインドネシアに行った時に現地の医師からその話を聞いた。彼が私にこう言った。「ハンセン病の診断はどうするか知っているか?」、「わからない」、「簡単だ。皮膚病変に注射針を刺して患者が痛みを感じなければハンセンだ」。末梢神経がライ菌で侵されているので、痛みを感じないからだと言う。「無痛性の皮膚病変」、それを聞いてなるほどと思った。
