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聖書とお金


 聖書の時代には、すでに貨幣があった。当時はギリシャ・ローマ・ユダヤの貨幣が混在して流通してた。たとえばギリシャの通貨としてはドラクマがある。ルカの福音書で女性がなくした銀貨として登場する。またローマ帝国の通貨としては銀貨のデナリオンが有名だ。労働者の1日分の賃金に相当する。ブドウ園の主が労働者に支払った逸話がある。

 またローマ帝国では人々から税も徴収していた。聖書にも「皇帝のものは皇帝へ」と言って、民が皇帝の像が記された銀貨(図)を税として納めることを認めていた。

 聖書では、お金そのものを悪とはしていないけれど、「金銭欲」が心を迷わせる危険として警告している。たとえば、伝道の書では「金銭を好む者は金銭をもって満足しない」と語っていて、富の追求が虚しいことであると言っている。またイエスも「富んでいる者が神の国に入るのは、らくだが針の穴を通るより難しい」(マタイによる福音書19章24節)と言う言葉が有名だ。

 さらに聖書では過剰な利子を禁じている。申命記や出エジプト記、レビ記などでは、同胞に対して利子を取ることを禁じている。たとえば「あなたの民、貧しい者に金を貸す場合は、高利貸しのようになってはならない」(出エジプト記)と言っている。また「銀の高利も、食物の高利も、その他いかなるものも高利を付けてはならない」(申命記23:20)。これは、共同体の中で弱者からの搾取しないための配慮と考えられる。面白いことに、旧約聖書では「外国人には利子を取ってもよい」とされてる部分もある。これは、共同体の内と外との倫理規範の違いを示している。

 また聖書の時代における利子の計算方法は、「単利」で「複利」ではなかったようだ。たとえば、申命記では「銀の利子も、食物の利子も、その他利子が付くいかなるものの利子も付けてはならない」とある。これは元本に対して一定の利子を加える単利的な考え方だ。利子にさらに利子をつけると言う「複利」は禁止していたようだ。

 さて聖書では、金銭に代表される富は神の祝福とされることもあるけど、それに執着することは信仰の足かせになるとも言っている。つまり、富は「善良な生活」を育むための手段であって、目的ではないということだ。

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