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メデイチ家の暗殺


 一度、イタリアのフィレンツェを観光で訪れたことがある。その時、街角で出会ったのがメデイチ家の紋章の6つの丸薬だ。メデイチ家は薬屋の出自を持つため家紋に丸薬が描かれている。薬屋としてのメデイチ家はミョウバンを扱っていたともいう。その後、メデイチ家は銀行業で財をなす。

 こうしてメディチ家は、中世末期からルネサンス期にかけて繁栄しフィレンツェの名家となる。そしてフィレンツェ共和国の実質的な支配者(僭主)として君臨した。メデイチ家はその巨万の富を背景に、レオナルド・ダ・ヴィンチら多くの芸術家や学者を支援するパトロンとしてルネサンス文化を大いに発展させた。

 こうした経緯からメデイチ家のメデイチという名前自体が、現在の「医師」や「薬」を意味するMedicinの由来ともなった。

 一方、メデイチ家の歴史は暗殺と陰謀の歴史でもあった。その中でも特に有名なのが「パッツィ家の陰謀」だ。これはまさにルネサンス期のフィレンツェを揺るがした一大事件だった。メディチ家の台頭をよく思わなかったのは、フィレンツェの名家であるパッツィ家だった。また教皇シクストゥス4世もメディチ家に敵対的で、パッツィ家を支援していた。こうしてメデイチ家を陥れようとする暗殺が起こる。暗殺の舞台はフィレンツェの象徴サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂だ。

 1478年4月26日、ミサの最中にメディチ家の兄弟、ロレンツォ・デ・メディチジュリアーノ・デ・メディチが襲撃された。ジュリアーノはその場で殺害されたが、ロレンツォは負傷しながら、からくも生き延びた。

 生き延びたロレンツォは市民の支持を得て、反乱を鎮圧。パッツィ家の関係者を処刑した。この反乱の鎮圧で、メディチ家の支配はさらに強まる。しかしその後も、メディチ家の後継者たちは、権力争いや政敵との対立の中で命を落とす者が続出する。例えば、アレッサンドロ・デ・メディチは1537年に親族によって毒薬により暗殺された。彼の独裁的な統治が反感を買ったためといわれる。もともと薬屋だったメデイチ家では毒殺による暗殺が流行する。

 ところで薬剤師の起源は、こうした薬物による要人の毒殺を防ぐ役目を担うものとして始まった。その起源は神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が1240年頃に制定した「薬剤師大憲章(5か条の法律)」にさかのぼる。この憲章は、それまで医師が薬の処方と調剤の両方を独占することを改め、調剤の専門家としての薬剤師を置くことを定めたものだった。

 暗殺の防止のために置かれた専門職が薬剤師と言うワケだ。これにより、医師と薬剤師の役割が明確に分離され、薬剤師という独立した専門職が誕生したのだ。

 暗殺防止が薬剤師の起こりだとは、なんとも歴史の皮肉だ。

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