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PCB中毒


 横須賀の衣笠病院で初診外来を担当している。ある日、外来に80歳台の男性が来られた。手にPCB(ポリ塩化ビフェニル)中毒という証明書のようなものを持っている。ただその証明書のような書類は折り畳みしわのところに裂け目ができていて今にもちぎれそうになっている。長年、この証明書をもって、仕事で転居するたびに病院を渡り歩いて来たという。

 PCB中毒による皮疹で、いまでも全身がかゆくてたまらないという。たしかに頭や背中に粉を吹いたような皮疹が広がっている。その患者さんは東京都のPCBを含んだ変圧器を処理する工場で働いていたことがあるという。本人はそこでPCB中毒になったと言い張る。

 さてPCB中毒ではカネミ油症事件が有名だ。1968年、北九州市のカネミ倉庫製の米ぬか油(カネミライスオイル)に、製造工程で使用していたPCBが混入、さらに加熱によりダイオキシン類が生成された。 この汚染油を摂取した人々に、広範な健康被害が発生した。認定患者数は2025年3月末時点で累計2,380名(死亡者含む)にも上るという。このカネミ油症事件のおかげでPCB中毒が一気に有名になった。

 外来にこられた男性は、どんな薬も効かないし、年金暮らしで生活もままならい。都庁にいって窮状を訴えたいという。それには診断書が必要なので、書いてくれという。ちょうどその日は皮膚科が休診だったので、初診外来の担当の私のところに来たのだ。どこにもぶつけようのない気持ちを外来で吐露される。

 専門外なので診断書を書くわけにもいかず、まずはボロボロになった証明書のようなものと本人の手書きメモをたよりに、PCB中毒の疑いの診療情報提供書をしたためることにした。言葉にならない本人の積年のうらみつらみを聞きながら提供書を書いた。

 以前、横須賀の船の修理工でアスベストによるじん肺患者さんを初診外来で診察したことがある。このときも80歳台の男性だった。1970年代の高度成長期の中で広がった環境汚染の被害者がいまや80歳台の半ばだ。

 初診外来が、こうした患者さんの憤りをぶつける唯一の場になっているのかもしれない。

 

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