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インドネシアとジェネリック


 私がジェネリック医薬品に興味をもったいきさつをお話ししよう。それは今から27年近くも前の1998年のインドネシアのことだった。この年の前年、アジア通貨危機が東南アジアを襲った。この時、私はこの通貨危機がアジアの医薬品流通に与えた影響の調査依頼をJICAから受けてインドネシアに出かけた(写真)。

 アジア通貨危機は、米国のヘッジファンドの通貨空売りを引き金として始まった。通貨危機は、まず1997年7月のタイ通貨バーツの大暴落を招いた。この通貨大暴落は周辺国に一挙に広がった。インドネシアもその例外ではなく、インドネシア通貨のルピアの価値が大暴落した。このため財布にルピア紙幣がパンパンに溢れていても、何も買えないという事態になった。

 その通貨危機のため医薬品の多くを輸入に頼っていたインドネシアは大打撃を受けた。この調査旅行で、私はインドネシア政府のジェネリック医薬品への力の入れように目を見張った。インドネシアは世界保健機構(WHO)の優等生と言われるだけあって、それ以前からいち早くジェネリック医薬品の国内製造と流通に力を入れていた。当時、インドネシア政府は半官半民のジェネリック医薬品を製造する公社3社と流通公社を1社持ち、2億人の人口を抱える広大なインドネシア全土にジェネリック医薬品普及を強力に推し進めていた。

 このためルピア大暴落の中、医薬品輸入が支障を来しても、なんとかジェネリック医薬品で国内の医薬品流通を維持したということが調査でも分かった。

 もちろん日本とインドネシアでは全く医療事情、経済事情も異なる。しかし貴重な医療費を無駄にせず使うこと、そして国内外の有事に際して国のインフラとしてのジェネリック医薬品が欠かせないという事情は、同じである。

 こうした経験からジェネリック医薬品が私のライフワークになった。

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