
フローレンス・ナイチンゲール(1820年~1910)が愛した聖句として広く知られているのは、詩編23編の「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない」、「死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません」である。そしてルカによる福音書10章の「良きサマリア人」の逸話もナイチンゲールはよく引用した。傷ついた人を見捨てず、境界を越えてケアする姿勢に共鳴したのだろう。これらの言葉は彼女の看護観・使命感と行動原理に深く結びついている。
ナイチンゲールはクリミア戦争の際、英国の兵士たちに病床でこの詩編をよく読み聞かせ、また自身の祈りの中心にも据えていた。
ナイチンゲールがクリミア戦争に従軍したのは、1854年から1856年で、これはクリミア戦争(1853–1856)の中期にあたる。クリミア戦争とはロシアとオスマントルコ帝国・イギリス・フランス連合軍の間で起きた戦争だ。原因はロシアの南下政策とそれを阻止しようとした連合軍の間の戦争で、65万人もの死傷者がでた大規模な戦争だった。
ナイチンゲールはトルコのイスタンブールのアジア側のスクタリの英国陸軍病院に1854年に38名の看護団とともに赴任する。そして1856年まで英国軍の負傷兵治療に従事した。
ナイチンゲールが赴任当時の英国陸軍病院は「汚物・害虫・悪臭に満ちた」状態で、兵士は汚れた寝具のまま放置されていた。ナイチンゲールは看護師たちを組織し、病棟・寝具・衣類の清掃を病院業務として確立した。これは「ダイエット(食事)・ダート(汚れ)・ドレイン(排水)」が病院の問題の核心だとした彼女の判断に基づいて行われた。その他、病室の換気の改善、排水の改善、清潔な水と洗濯設備の整備、厨房の改善と栄養管理、物資管理の組織化を行った。
こうした病院システムの改善によって、ナイチンゲールがスクタリに到着当時、病院内死亡率は42%だったのが、なんと改善実施後に死亡率は22%まで半減した。そもそも当時は病院内死亡率と言う統計概念もなかった。それをナイチンゲールは自ら統計学を学び、駆使して、この改善の成果を測定した。
こうした業績からナイチンゲールは病院管理学の開祖とも呼ばれている。
