
著者がリハビリテーションに最初に出会ったのは1987年、88年に家庭医療の留学で訪れたニューヨーク市のブルックリンだ。ブルックリンの下町にあるニューヨーク州立大学のダウンステート・メデイカルセンターの家庭医療学科に留学していた。そのとき、家庭医療学科のレジデントと一緒にブルックリン橋のたもとにあるブルックリン在郷軍人医療センターで初めて病院リハビリの実態を目にした。
米国のリハビリの発展の歴史は第二次世界大戦の復員軍人障害者60万人のリハビリなくしては語れない。その中心的な役割を担ったのが在郷軍人病院のリハビリ部門だった。このブルックリンの在郷軍人病院で行われていた病院リハビリには驚きだった。小柄な女性の理学療法士が、巨体の若い男性患者にリハを行う様子はまるでレスリングのトレーナーのようだと思った。
実は我が国のリハビリテーションの歴史も、戦後の復員軍人のリハビリから始まる。1963年に日本初の理学療法士・作業療法士養成校として、国立療養所東京病院付属リハビリテーション学院が東京清瀬市に開校する。国立療養所とは戦前の陸軍、海軍病院を戦後に厚生省が引き継いだ病院で、米国の在郷軍人病院に相当する。著者も若いときに新潟の西蒲原郡村松町にあった国立療養所村松病院で数年間勤務したことがある。そこでは第二次世界大戦の復員軍人の診療を行っていた。
こうした国立療養所の一つであった東京清瀬の国立療養所一角に日本最初のリハビリテーションを教える前述のリハ学院が誕生する。リハ学院では最初から世界水準の教育を目指し多数のお雇い外人の理学療法士、作業療法士の教員を招いた。その授業はすべて英語でおこなった。
そして1965年6月に身分法である「理学療法士及び作業療法士法」が国会で成立。これによりそれまで曖昧だった「理学療法士・作業療法士」の職能が公式に定義され、1966年から実施される国家試験が行われる基盤が整った。
戦後の復員軍人から始まったリハビリは以来60年、時代は変わり今や日本の高齢社会ではなくてはならない医療介護の最前線となっている。
さて著者が勤務する横須賀市の日本医療伝道会衣笠病院グループではリハビリスタッフは理学療法士25名、作業療法士17名、言語療法士3名の計45名が在籍している。著者もリハビリスタッフととともに訪問リハビリで在宅を訪問している。驚くのはその効果だ。自宅で転倒して寝たきりになっていた高齢女性が半年後、家の前の20段の階段を自分で昇降できるようになっている。その効果を目の当たりにすれば、だれしもが驚くだろう。
研修医にはいつも訪問リハに同行するようにと勧めている。