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日野原重明先生


 日野原重明先生の100歳の誕生日の講演会に立ち会ったことがある。たまたまその日は日野原先生がQOL研究会でお話になる日だった。100歳になられた日野原先生はいつものように立ったまま40分以上にわたる講演をされた。講演の内容はこれまでのQOL研究会の歩みと貢献のあった方々へのお礼の言葉だった。終わったあと日野原先生を囲んで昼食をとった。

 さて日野原先生について語る時には1970年に発生した「よど号ハイジャック事件」抜きには語れない。当日、福岡の学会に出席される予定だった日野原先生は、羽田発の日本航空機に搭乗した。その機内で赤軍派のハイジャック事件に巻き込まれ、人質となった。同機が北朝鮮へ向かう中、機内での危険な状況を冷静に受け止め、聖書や医師としての信念を心の支えにした。この経験が、先生のそれからの人生に大きな影響を与えた。この経験が還暦を目前の日野原先生に「他者のために生きる決意」を固めるきっかけになったという。

 また日野原先生は様々なアイデアで今日の医療を大きく変えた。ひとつは「生活習慣病」という概念の普及をしたことだ。以前は「成人病」と呼ばれていた病気を「生活習慣病」と呼ぶよう提唱した。このネーミングが当たって、生活習慣病の予防の重要性が広く認識された。

  カルテ記載のSOAPを日本に紹介したのも日野原先生だ。医療の問題リストとともに「S(主観的情報)」、「O(客観的情報)」、「A(評価)」、「P(計画)」の4つの項目をカルテ記載に持ち込んだ。このSOAPはいまだに電子カルテの記載でも使っている。

 さらに人間ドックを発案したのも日野原先生だ。ドックとは船を点検修理するドライドックに由来する。時々間違えて人間ドッグという人がいるが、これでは人間犬だ。

 また聖路加国際病院の院長として同病院を日本医療の最先端に押し上げ、看護教育を重視し看護大学を設置するなど、同病院の発展に貢献したのも日野原先生だ。

 キリスト者として日野原先生の貢献に我々は多く負っている。

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