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おもしろ薬辞典⑬ 正露丸とドラッグ・リポジショニング


 今回のテーマはドラッグ・リポジショニング(drug repositioning)だ。 日本語では薬剤再評価とか、既存薬の再活用とかいう。

 正露丸は日露戦争のころから腹痛によく効く薬として知られていた。当時は「征露丸」といった。この正露丸になんとアニサキスの運動を抑制する作用がみつかった。アニサキスはサバなどに寄生する寄生虫だ。胃に入るとアニサキスは胃粘膜に食い込み激しい胃痛の原因となる。

 このアニサキスを内視鏡でつまんで取り出すのが治療法の一つだ。ところが、アニサキスは胃粘膜に頭をつっこみしっぽをばたばたと振る。このため内視鏡で鉗子を使ってつかみ出すのがやっかいだ。このとき正露丸の希釈液をアニサキスに噴射すると、なんとアニサキスが運動をぴたりとと止める。このすきにアニサキスをつまみ出す。こうした新しい正露丸の利用法はまさにドラッグ・リポジショニングといえる。

 こうした既存薬から新たな作用を見つけることをドラッグ・リポジショニングという。日本語では前述のように「薬の再評価・再活用」ともいう。このドラッグ・リポジショニングに注目が集まっている。というのも創薬には莫大な開発経費と時間がかかる。特にその安全性を確認することにカネと時間がかかる。一方、既存薬はその作用や安全性が長い使用経験からすでに確かめられている。そうした「枯れた薬」から新たな作用を見つければ、新薬をゼロから開発するより、大幅なコスト削減がはかれる。

 この代表例がアスピリンだ。アスピリン(アセチルサリチル酸)は、19世紀末に鎮痛・解熱・抗炎症薬として開発された薬だ。しかし1970年代に新たな作用である抗血小板作用が見つかった。古くからある薬に新しい作用がみつかり、これによってアスピリンは心筋梗塞や脳梗塞の予防薬として生まれ変わる。

 この発見のきっかけは、イギリスの薬理学者ジョン・ヴェイン(John Vane)たちの研究だ。彼らは、アスピリンがプロスタグランジンの合成を阻害することを突き止めた。それまでアスピリンの作用機序が分からなかった。このプロスタグランジンは、炎症や痛みの原因になる物質だ。これによりアスピリンが鎮痛効果をもたらす。しかしプロスタグランジンは同時に血小板の凝集にも関与していることも分かった。こうしてアスピリンの第二の人生が始まったのだ。

 こうした薬の例には漢方薬も多い。中国3000年の歴史と経験の中から生まれた漢方薬はその作用機序がいまだ分からないものが多い。このため多くの再利活用の余地があるのではないかと関心が集まっている。

 たとえば大建中湯(だいけんちゅうとう)の本来の用途は冷え性、腹痛、食欲不振などの改善だ。この大建中湯がなんと術後の腸管麻痺の予防・改善作用があることが、臨床研究で見つかり、保険適用にもなった。

 また抑肝散(よくかんさん)は神経過敏、怒りっぽさ、不眠などの改善がその作用だ。しかし新たな用途として認知症に伴う興奮・不安・幻覚の軽減に役立つことがわかった。抑肝散を幻覚の症状がある認知症の人に投与すると、幻覚がへる。一度、「座敷わらじが見える」という認知症の高齢女性に抑肝散を処方したら、「座敷わらじが5人が1人になった」という。「でもちょっと寂しくなった」とその高齢女性は言っていた。

 定年後の薬の人生も、捨てたものではない。

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