
世界保健機構(WHO)はその前文で健康の定義を以下のように行っている。1946年のことだ。「健康とは、病気でないとか、弱っていないと言う事ではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます」(日本WHO協会訳)。
しかしその後、この健康の定義の見直しが試みられたことがある。1998年、WHO総会の下部機関の執行理事会において、WHO憲章前文の見直し作業の中で、「健康」の定義について以下の改正案が出た。「完全な肉体的(physical)、精神的(mental)、霊的(Spiritual)及び社会的(social)福祉の動的(Dynamic)な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」。執行理事会では霊的(Spiritual)は人間の尊厳の確保やQuality of Life(生活の質)を考えるために必要な本質的なものであるという意見だ。また動的(Dynamic)については、「健康と疾病は別個のものではなく連続したものである」という意味づけの発言がなされている。執行理事会でこの改正案については結局投票となり、その結果、賛成22、反対0、棄権8で総会の議題とすることが採択された。
こうしてこの健康の定義の改正案は翌年の1999年5月にスイスのジュネーブにおいて開催された第52回WHO総会において審議をする予定だった。
しかし総会では数カ国から憲章前文についても討議すべきとの意見も出された。しかし現行の憲章前文は適切に機能しており本件のみを早急に審議する必要性が他の案件に比べ低いなどの理由で審議されなかった。このため健康の定義に係る前文改正案はまぼろしに終わった。やはり憲章前文の改正は難事業だったのだ。
また審議されなかったもう一つの理由は、この案がWHO東地中海地域事務局からの提案であったことも関係しているようだ。この地域はイスラム文化圏だ。このため霊的と言う概念がイスラムの文化的宗教的な背景に基づいているとされたことも影響したのかもしれない。
霊的と言う概念は確かに宗教的な概念だ。キリスト教においても天の父、救い主イエス、聖霊の三位一体が中心概念だ。では霊的健康とは一体何だろう。それは身体と心に聖霊が満たされた状態を指すのではないか。これに関連した聖書の言葉には以下がある。「ガラテヤの信徒への手紙 5章22-23節」で「聖霊の実」と呼ばれる愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制が記されていて、聖霊によって満たされた人の姿を表している。また霊的な健康は、心や魂が安定し、内面の平和を感じる状態を意味する。例えば、詩篇23篇がその一例だ。「主は私の牧者、私には乏しいことがない」という部分は、神との深いつながりが霊的な健康につながることを教えている。このように霊的に良好な状態にあることは、生活や生命の質(QOL)の向上とも関連している。
逆に霊的に健康でない状態、霊的に病気の状態とは何か?心が不安定になり、内面の平和や安心感を失ってしまうことだ。これが孤独感や孤立感につながる。聖霊によって満たされることで、希望や強さを得ることができ、試練を乗り越える力を感じることができると聖書は教えている。これが霊的健康と言う意味ではないのか?